fc2ブログ

まっくろクロスケ

海外や日本の何気ない出来事を紹介させていただきます。

買ってきた小さなサボテンが花を咲かせました。 雪晃(haselbergii)

オリジナルの記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大以前に右の写真のオキザリス・ナマクアナの花を紹介したことを覚えておられる方もおられると思いますが、そのオキザリス(カタバミ属)が気に入って昨年の11月6日に別の種類のオキザリスを買いに行った時に、300円~500円の小さなサボテンも5つほど買いました。驚いたことに買ってから2ケ月半後(74日目)の2020年1月19日に1つのサボテンに花が咲き現在(2020年2月22日)も咲いているので、咲き始めてから、現在までの姿を紹介したいと思います。

2019年11月6日に買ってきたのがこちらの写真の3種類のオキザリスと5種類のサボテンでした。サボテンの名前は左から雪晃(400円)、黄金司(300円)、美青丸(300円)、ブカレンシス(400円)、バニーカクタス(500円)で、価格は税込です。花が咲いたのは一番左の雪晃(セッコウ)でした。
クリックすると拡大

こちらが植え替え前の雪晃です。
小さなポットに400円(税込)のタグが貼られています。
クリックすると拡大

植え替えたオキザリスとサボテンです。
クリックすると拡大

植え替えたサボテンの写真です。この時はさほど注目していなかったので単独の写真は撮っていなかったので、上の写真から切り取りとって回転させて掲載させていただきました。
クリックすると拡大

サボテン用の荒い土なので少しの振動でも安定しないことから、簡単に鉢やサボテンが倒れないように4つまとめてステンレスの器に入れました。寒くなって夜には家に入れるのですが、まとめて移動できるので便利でした。
クリックすると拡大

晴れた日は毎日外に出していたのですが、2020年1月19日に写真のように花が咲きました。少し前から赤い蕾が付いているのは気が付いていたのですが、突然に咲いたのでした。最初に撮った写真がこちらの写真です。
クリックすると拡大

花を上から撮りました。
クリックすると拡大

拡大しました。さらに赤い蕾が2つあるのが分かっていただけると思います。
クリックすると拡大

横からみた拡大写真も紹介します。
クリックすると拡大

翌日の1月20日のサボテンです。少しだけ花びらが開いたようです。この時はどこまで開くのか判らないので頻繁に撮りました。
クリックすると拡大

1月20日の拡大写真です。
クリックすると拡大

さらに1日経った1月21日の写真です。オキザリスの花は毎日開閉を繰り返していましたが、サボテンの花は夜も昼も開いたままでした。1月19日と比べると花びらが広がってきて来ているのが分かっていただけると思います。
クリックすると拡大

1月21日の花を横から撮った写真です。新しい蕾が大きく膨らんできています。
クリックすると拡大

1月24日に2つの蕾も咲いて4つの花が咲いた状態になりました。1月24日に咲いた花はまだ花粉を出していませんが、1月19日に咲いた花も花粉は少ない状態です。
クリックすると拡大

同じ写真ですが、花の部分を拡大いたしました。大きく開いた左右の花の間から新しい花が咲いて来たことが分かっていただけると思います。
クリックすると拡大

1月30日の状態です。後から咲いた花も大きく開いたので、4つの花がいずれも大きく開いた状態となりました。花粉が少し見られるようになりました。
クリックすると拡大

上の写真の翌日の1月31日です。4つの花の花びらが開いた姿は見事でした。
クリックすると拡大

拡大いたしました。花粉の量が増えたように感じます。
クリックすると拡大

さらに1日経った2月1日の状態です。
クリックすると拡大

花を拡大いたしました。
クリックすると拡大

変化を見ていただくために2月4日の写真も紹介します。
クリックすると拡大

こちらが拡大写真です。
クリックすると拡大

花粉が多くなったようなので花粉が付着した部分を拡大いたしました。
クリックすると拡大

関西に出発する前日の2月6日の状態です。
クリックすると拡大

写真には写っていませんが花びらの下に小さな蕾が2つありました。関西から帰宅する2月17日までは確認できないので気になっていました。1月24日に咲いた方の花にも花粉が沢山付いていました。
クリックすると拡大

関西から帰ってくると4つの花はしぼんでいて、小さな蕾だった花が咲いていました。写真の中に萎んだ4つの花がらが残っています。留守にしていた11日間に劇的に変わりました。家内に聞くと6つの花が同時に咲くことはなく、4つの花がしぼんでから2つの花が咲いたそうです。関西から帰宅した翌日の2020年2月18日の写真です。
4つの花がしぼんだ日は正確には判らないのですが2月13日前後で4つとも同時に近かったそうです。
クリックすると拡大

上の写真を撮った2月18日の正面からの姿です。
クリックすると拡大

拡大した花の写真も紹介します。
クリックすると拡大

2月22日の朝の状態です。朝日に当たってきれいな透き通るような色になっていました。2月18日とあまり変わっていません。花は長持ちするようです。サボテンの品種は雪晃(せっこう)で、サボテン科パロディア属(旧ブラジリカクタス属)に分類されるそうです。Parodia haselbergii(ドイツ語:翻訳)にはParodia haselbergii subsp. haselbergiiとParodia haselbergii subsp. graessneriがあるようです。日本で呼ばれている雪晃と黄雪晃なのかもしれません。原産地はブラジルで、リオグランデドスル州(Rio Grande do Sul)の西部および北西部と、 サンタカタリーナ州(Santa Catarina)の南部に広く分布しているそうです。クリックすると拡大
 界 植物界     Plantae
   被子植物    Angiosperms
   真正双子葉類  Eudicots
 目 ナデシコ目   Caryophyllales
 科 サボテン科   Cactaceae
 連 ノトカクタス連 Notocacteae
 属 パロディア属  Parodia
 種 雪晃      haselbergii
クリックすると拡大

2月22日の花を拡大した写真も2月18日と似ています。朝は花粉はあまり出ていませんでしたが、昼過ぎには花粉が目立つようになっていました。
咲いた日と花粉が多くなった日と花が萎んだ日をまとめてみました。ただし私が関西に行っていた2月7日から2月17日に関しては正確ではないので2日程度のずれはあります。日付の右側の数値は咲いた日からの経過日数です。20~24日間ほど花が開いているようです。僅かですが6輪が同時に咲いていた期間もあったようです。
現       象 最初の2輪 次の2輪 最後の2輪
咲いた日 1月19日 0日目 1月24日 0日目 2月11日 0日目
花粉が多くなった日 1月30日 11日目 2月01日 8日目 2月22日 11日目
花が萎んだ日 2月12日 24日目 2月13日 20日目    
クリックすると拡大
スポンサーサイト



  • 2020-02-22 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

豪快に伊勢海老を4匹

オリジナル記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年10月04日再掲載 タイトル:豪快に伊勢海老を4匹 3度目来店
クリックすると拡大
ザリガニ料理の記事(小龍海老と大龍海老)で中国での伊勢海老(イセエビ)の刺身の記事を紹介しました。ロブスターも含むイセエビはパキスタンやインドなど意外な国も含めて多くの国で食べましたが、刺身となると4ケ国のみです。4ケ国とは日本、台湾、中国、ベトナムです。すでにベトナムの伊勢海老料理の記事は掲載していましたが、今回の中国の記事を機会に日付を最新にして再掲載いたします。

下の2枚の写真が4匹の伊勢海老です。こちらのお店は3回目です。もちろん、目的は日本では食べることが難しい巨大な伊勢海老(正式名:錦海老/ニシキエビ)料理を食べることです。
ニシキエビ(Panulirus ornatus)はイセエビ(Panulirus japonicus)とおなじイセエビ属(Panulirus)に分類されていてイセエビ属の最大種で体長60cm・体重5kgに達する個体も稀に漁獲されそうです。
イセエビ科は現生種12属60種で、イセエビ属は少なくとも22種です。
クリックすると拡大 界 動物界   Animalia
 門 節足動物門 Arthropoda
 綱 軟甲綱   Malacostraca
 目 十脚目   Decapoda
 科 イセエビ科 Palinuridae
 属 イセエビ属 Panulirus
 種 ニシキエビ Panulirus ornatus
クリックすると拡大クリックすると拡大

下記の沢山の写真はWikipedia Panulirusに記載されている順に22種を掲載しました。日本の伊勢海老は11番目で今回の錦海老は16番目です。日本周辺では6種類が獲れるそうです。一般的にあまり知られていない日本語名に関しては2014年のタクサ日本動物分類学会誌の「イセエビ・セミエビの和名について」を参考にさせていただきました。
NO 学  名 日本語名
1 Panulirus argus アメリカイセエビ カリブイセエビ
2 Panulirus brunneiflagellum アカイセエビ
3 Panulirus cygnus オーストラリアイセエビ
4 Panulirus echinatus ブラジルイセエビ
5 Panulirus femoristriga アマミイセエビ
6 Panulirus gracilis パナマイセエビ
7 Panulirus guttatus ニシインドイセエビ
8 Panulirus homarus ケブカイセエビ 
9 Panulirus inflatus メキシコイセエビ
10 Panulirus interruptus カリフォルニアイセエビ
11 Panulirus japonicus イセエビ 
12 Panulirus laevicauda アメリカミナミイセエビ
13 Panulirus longipes カノコイセエビ 
14 Panulirus marginatus ハワイイセエビ
15 Panulirus meripurpuratus
16 Panulirus ornatus ニシキエビ 
17 Panulirus pascuensis イースターイセエビ
18 Panulirus penicillatus シマイセエビ
19 Panulirus polyphagus クリームイセエビ
20 Panulirus regius インドイセエビ
21 Panulirus stimpsoni サガミイセエビ
22 Panulirus versicolor ゴシキエビ
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

少し人数が多かったので大型の伊勢海老を思い切って4匹頼みました。こちらのお店に初めて(1回目に)来たのは2010年10月28日で、クリックすると拡大2回目は2010年11月23日で、1回目と2回目の記事に追記する形で3回目の記事を掲載させていただきました。前にも紹介したように伊勢海老は5種類の料理になって出てきます。今回は右の料理を沢山食べたかったので4種類の料理にしてもらいました。「お刺身」に「海老の透明な血の料理」に右の写真の「クリーム煮をフランスパンに乗せて食べる料理」に「おじや」です。「クリーム煮の料理」が絶品ですが、すでに写真で紹介しているので大きな写真は省略いたします。初めて訪問の方は、この記事の後半の写真を是非とも見てください。


クリックすると拡大下の「海老の透明な血の料理」は前回までは味が薄い料理との印象でしたが、今回はライムが付けられて出てきました。ライムを入れてみると驚くほど美味しい料理になることが今回、わかりました。
最後は右の「伊勢海老入おじや」で締めとなりました。


ベトナム風のスープです。見た目も味もタイのトムヤンクンに似ていますが、トムヤンクンほど辛くなく、素材の味が活きた、すごく美味しいスープでした。
クリックすると拡大

今回は高級食材に合わせてワインにしました。ついつい、いろんなワインを飲んでしまいました。
クリックすると拡大

ハーブも沢山出てきました。ベトナムに来ると沢山のハーブが味わえます。


定番の揚げ春巻きに
クリックすると拡大

生春巻きです。他にも沢山の料理が出てきましたが、今回は省略いたします。


こちらはサラダです。


野菜料理も頼みました。こちらにも砕いたピーナッツが、かけられていました。


おじやの締めの後はベトナムコーヒーにデザートです。私はアイスクリームにいたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

お店の場所のGoogleストリートビューです。現在表示されているのは2014年9月に撮影されたものです。水平にスクロールすると周辺の雰囲気を感じてもらえるかもしれません。90度ごとに回転させたい方は右端のビュー回転アイコンの矢印をクリックしてください。現在は道路から南方向を見ている構図です。

クリックすると拡大
2019年10月4日01時 再掲載時点 閲覧:6,672 nice:401 CMT:78
2019年10月5日09時       閲覧:6,887 nice:425 CMT:88
クリックすると拡大
本記事のniceを見てみると、9年間の間に401人の方からniceをいただきましたが、その中から76人の方が退会されたことが判りました。


2010年12月11日追伸 タイトル:また同じお店に来てしまいました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大
前回(2010年10月28日)、ハノイに来たときに大きな伊勢海老の料理を食べたことをすでに報告しています。そして一ヵ月後(2010年11月23日)にハノイに来る機会を得ました。
一ヶ月前の美味しさが忘れられなくて、また同じお店に来てしまいました。このときハノイに初めてきた人は活きた大きな伊勢海老を見て、料理を食べて大感激でした。
早速、生きた伊勢海老(正式には錦海老)の写真を撮りました。大きさがわかりにくいと思いますが、クリックして拡大したカメラの裏の画像で人と比べるとわかると思います。
前と同じように伊勢海老で5種類の料理を作ってもらいました。同じ料理なので、前回、撮れなかった写真を中心に紹介いたします。下の写真が前回も紹介した伊勢海老のクリーム煮です。こんな香ばしい感じで出てきます。
クリックすると拡大

これをフランスパンに乗せているところです。


これが完成した状態です。やっぱり一番美味しかったです。この写真は前回は撮れなかったので是非とも撮りたいと思っていました。念願がかないました。美味しいパンと伊勢海老の美味しさがあって初めて味わえる料理でした。
クリックすると拡大

もちろん今回も沢山の刺身が出てきました。伊勢海老のクリーム煮と刺身、どちらが美味しいかは人によって意見が分かれるところですが、もちろん刺身も文句なしに美味しいです。
クリックすると拡大

こちらが、前回は写真がうまく撮れなかったハーブです。あらゆるハーブが入っています。
クリックすると拡大

沢山のハーブが出てきますが広い葉っぱにいろんなハーブと前回紹介した伊勢海老の透明な血を乗せた後、巻いて食べました。
クリックすると拡大

こちらは揚げ豆腐です。ピリットとたケチャップにつけてたべます。
クリックすると拡大

そして、今回、特別に頼んだハーブと野菜だけの生春巻きです。もちろん普通の生春巻きも頼みましたが前回にすでに紹介しているので写真は省略いたします。
クリックすると拡大


2010年11月4日掲載 タイトル:一匹の海老が5種類の料理に変身
クリックすると拡大
今回のベトナムは実施的に1泊だけでした。成田からハノイに着いたのが2010年10月28日で帰国が29日の23時30分のハノイ発のや夜行便だったからです。到着した10月28日は当然ベトナム料理を満喫するために、ハノイのことが詳しいベトナム人を誘ってお勧めのベトナム料理店に行きました。シーフードのベトナム料理店です。一泊だけなので思いきって上の写真のロブスターを頼みました。
実はこの一匹からいろんな料理を食べることが出来ました。

最初のセッテングです。なかなかセンスのある器や小皿が使われていました。


伊勢海老(正確には錦海老ですが、ブログ内では伊勢海老と呼ばさせていただきます。)料理が出来るまでに頼んだのがベトナム式の揚げ春巻きです。
クリックすると拡大

何種類かのタレが用意されて出てきました。これは春巻き用です。
クリックすると拡大

もちろん生春巻きも頼みました。こちらの生春巻きは大きかったです。
クリックすると拡大

やっぱりベトナム料理にはビールです。ハノイなので、ずばりハノイビール(HANOI BEER)を頼みました。


ウォッカも頼みました。 ロシア語ではводкаですがベトナム語ではウォッカのことをVODKAと書きます。銘柄はVODKA HANOI(ウォッカハノイ)です。ベトナムでウォッカは意外な感じがしましたが、ベトナムとロシア(ソ連)は縁が深かったので強いお酒としてウォッカがベトナムに浸透しているのだと思います。アルコール度数29.5%と本場のウォッカより飲みやすいため、日本の焼酎のような存在ではないでしょうか。
クリックすると拡大2002年3月11日にカンボジアとの国境に近いハティンの町の屋台のような焼肉店で飲んだのもウォッカだったと思います。そのウォッカの値段は100円でした。その時代は2リッターの地ビールも100円だったので、ウォッカは高い飲み物との印象でした。その時の記事はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大

①伊勢海老の最初の料理がこちらです。伊勢海老の血です。血と言っても赤くはなく半透明でゼリー状に固まっており、その伊勢海老の血の上にナッツや身が乗せられていました。これをそのまま食べるのではなくハーブに乗せて食べるのです。
クリックすると拡大

こちらがハーブに伊勢海老の血を乗せたところです。いろんなハーブを載せて巻いて、タレにつけて食べました。
クリックすると拡大

②伊勢海老はベトナムでも刺身が好まれます。ベトナムの人も大好きだと言われました。やっぱり伊勢海老の刺身は美味しいですね。
クリックすると拡大

③最もベトナム風だったのが、この伊勢海老のから揚げです。いろんな香辛料がかけられていますが、主体は塩味で、それも薄味なので、これも美味しくいただきました。
クリックすると拡大

ここでパンが突然出されました。ベトナム料理でパン?
実はベトナムはフランス支配の間にパンが浸透したのです。ベトナムでは、美味しいフランスパンがどんな田舎でも食べることが出来るのです。ただし、こちらのレストランでは単にパンがご飯代わりに出たのではなく、伊勢海老料理の一部だったのです。ここで絶品の伊勢海老料理に出会えたのです。
クリックすると拡大

④これが、その伊勢海老料理です。クリームに煮込んだ伊勢海老とクリームを、先ほどのパンに乗せて食べるのです。この美味しさには驚かされました。今まで食べた伊勢海老料理の中で一番に位置するくらいに美味しかったです。これは是非とも皆さんに経験してもらいたい味でした。
クリックすると拡大

お店の人に手本で乗せてもらっているところです。ほんとすばらしかったです。
クリックすると拡大

⑤最後の伊勢海老料理は"おじや"です。これは説明不要の美味しさですね。結局一匹の伊勢海老で5種類り料理が楽しめました。
クリックすると拡大

デザートはザボンでした。ご存知の通りスッキリとした味わいのデザーでした。
クリックすると拡大

やっぱりお店を紹介する必要がありますね。お手拭の写真を撮っておいたので掲載いたします。ネットで電話番号や住所で調べると店名が一致とませんでした。
  店名 Biennbo Ⅱ (Biển Nhớ II / Nhà hàng Biển Nhớ II)  
  住所 15B TRANG THI - HOAN KIEM - HANOI
  電話 04-3936-8462


クリックすると拡大電話番号「3936 8462 HANOI」で検索して出てきたのが下記の地図です。観光名所のホアンキエム湖の近くです。
「Nhà Hàng Nhật Bản」はベトナム語で日本食レストランの意味です。ちょっと不思議だし、お店の名前も違いますが場所はこちらで間違いないので、ご安心を。
ネットからレストランの写真を探したので紹介します。

より大きな地図で レストラン を表示
ベトナム語ですがお店のネームカードをもらっていました。Biennbo Ⅱのベトナム語と思われる文字Biển Nhớ IIが並んでいます。
  • 2019-10-06 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

久しぶりに神戸電鉄に乗りました。

オリジナル記事 → ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で2019年4月20日に新入社員として配属になった神戸事業所の仲間と神戸市北区山田町の国指定の重要文化財巡りのハイキングにクリックすると拡大右の写真の神戸時代の仲間と行ったことを紹介させていただきましたが、待ち合わせ場所の箕谷(みのたに)駅までは神戸電鉄(神鉄)を利用しました。神戸電鉄は会社の事業所の近くでしたが意外と乗る機会がありませんでしたが、年に1~2度程度ですが忘年会などの宴会を1泊で有馬温泉にある会社の保養所で行った時に神戸電鉄を利用しました。宴会の翌日は保養所から神戸電鉄に乗って会社に通勤していたのが思い出されます。転勤したことから27歳が神戸電鉄に乗ったのが最後だったと思います。今回の神戸電鉄の利用はそれ以来のことなので楽しみにしていたわけです。
上の写真は出発駅の新開地駅に停まっている8時10分発の準急三田行です。先頭に5011と書かれているので5000系電車です。この電車に乗って乗り換えなしで箕谷駅まで行きました。それでは箕谷駅までの神鉄の旅を紹介したいと思います。

実家のある逆瀬川駅からは阪急電車で来ました。乗換には改札機がないのでIC乗車券で逆瀬川駅を入って箕谷駅を、そのIC乗車券で出たわけです。ちなみにIC乗車券は関東のパスモです。逆瀬川から箕谷まで840円でした。帰りは箕谷からバスを利用すると720円で行けることを帰りに知りました。箕谷→三宮のバスの料金が440円で、三宮から逆瀬川の阪急の料金が280円だったからです。逆瀬川から箕谷までの間にあった神戸高速鉄道は車両を持たない鉄道会社です。阪急電鉄・神戸電鉄・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道の4社が神戸高速鉄道から施設(線路、設備)を借りて自社路線として営業する方式です。本方式の会社などの第三種鉄道事業者は少なくとも全国に19社/者(自治体を含む)ありますが、4社の鉄道会社が利用している第三種鉄道事業者は神戸高速鉄道だけです。
  4社利用:1社 3社利用:なし 2社利用:7社/者 1社利用:16社/者
 車両   路線        区間
 阪急電鉄 阪急電鉄      逆瀬川~神戸三宮
 阪急電鉄 神戸高速鉄道東西線 神戸三宮~新開地
 神戸電鉄 神戸高速鉄道南北線 新開地~湊川
 神戸電鉄 神戸電鉄      湊川~箕谷
クリックすると拡大

下の写真が神戸電鉄の車内です。車両は川崎重工製でした。1948年以降は全て地元の川崎重工製だそうです。それ以前は日本車輌でした。
神戸電鉄の沿革を簡単に紹介します。駅名の後ろの括弧内はクリックすると拡大現在の駅名です。会社設立(1926年)から93年になるわけです。右の写真が1928年に製造され、開業時点に使用されたデ1形車両で、このタイプの車両は新しい型に置き換わっていきながらも1967年まで使用されたそうです。
 1921年11月   神有電気鉄道の趣意書が発表
 1926年03月27日 神戸有馬電気鉄道として会社設立
 1928年07月30日 バス営業開始
 1928年11月28日 有馬線が開業 湊川~電鉄有馬(有馬温泉)
 1928年12月18日 三田線が開業 唐櫃(有馬口)~三田
 1936年12月28日 三木電気鉄道(三木鉄)が開業 鈴蘭台~広野ゴルフ場前
 1937年12月28日 広野ゴルフ場前~三木東口(三木上の丸)が開業  三木鉄
 1938年01月28日 三木東口(三木上の丸)~三木福有橋(三木)が開業 三木鉄
 1945年11月08日 鷹取道(丸山)~長田で脱線事故 48名死亡180名負傷
 1947年01月09日 三木電気鉄道を合併 神有三木電気鉄道に社名変更
 1949年04月30日 神戸電気鉄道に社名変更
 1951年12月28日 三木福有橋~電鉄小野(小野)が開業
 1952年04月10日 電鉄小野(小野)~粟生が開業 粟生線全通
 1961年05月25日 京阪神急行電鉄(阪急阪神ホールディングス)と事業提携
 1968年04月07日 神戸高速鉄道に乗り入れ開始
 1988年04月01日 神戸電鉄に社名変更
 1991年10月28日 公園都市線(横山~フラワータウン)が開業
 1995年01月17日 阪神・淡路大震災で被害
 1996年03月28日 公園都市線全通により現在の路線が完成
 2007年04月01日 IC乗車カード(PiTaPa)導入
 2015年03月03日 IC乗車カード全国相互利用が可能となる
クリックすると拡大

社内の路線図です。概ね三田方面と三木方面の路線になっています。三田方面は有馬口から有馬温泉・行きに別れていて、横山からウッディタウン中央・行きに分かれています。
クリックすると拡大

今回乗った範囲(新開地駅~箕谷駅)の神戸電鉄の駅をGoogle地図にプロットしました。カメラマークは駅以外の車窓の写真を撮った位置を表しています。丸山駅(❹)から鈴蘭台駅(❼)までは動画を撮っていたので写真ありません。上で紹介の動画の中に、4つのトンネルと廃駅の菊水山駅跡が写っています。
駅の到着時間も紹介します。ただし菊水山駅は2005年3月26日休止となり、2018年3月23日廃駅となったために通過時刻です。準急のため停車しない丸山駅と鵯越駅も通過時刻です。トンネル(━━)は4ケ所あります。ただし2ケ所は❻の下に隠れているのでプラスのアイコンを2回クリックして拡大したあとスクロールして画面を移動すると判ると思います。→ポチッ
 ❶ 8時10分 新開地駅
 ❷ 8時11分 湊川駅
 ❸ 8時14分 長田駅
 ❹ 8時15分 丸山駅(通過)
 ❺ 8時16分 鵯越駅(通過)
 ❻ 8時18分 菊水山(廃駅)
 ❼ 8時22分 鈴蘭台駅
 ❽ 8時27分 北鈴蘭台駅
 ❾ 8時29分 山の街駅
 ❿ 8時32分 箕谷駅
 ━━ トンネル 丸山駅~鈴蘭台駅 4ケ所
 ━━ 地下部分 新開地駅から長田駅の手前
クリックすると拡大

長田駅です。この辺りから急こう配になっていきます。
神戸電鉄と言えば忘れてはならないのが、終戦の年の1945年11月18日に死者48名を出した事故です。神戸電鉄は山越えの路線であることから急こう配の線路が長く続きます。鵯越~丸山間で抑速ブレーキが利かなくなり33‰の連続下り勾配区間で加速し丸山~長田間の曲線部で制限を遙かに超えた高速で脱線転覆し死者48名負傷者180名の犠牲を出す大事故でした。クリックすると拡大私が生まれる前のことではありますが神戸に勤務していたこともあり電車事故があるごとに、事故のことを聞かされました。
右の写真は運転席に置かれているマスコット「しんちゃん」人形です。冒頭の写真から切り取りました。
今は「しんちゃん」が見守ってくれているのだと思います。
クリックすると拡大

長田駅を過ぎると急こう配になってきます。カーブでは車輪の擦る音が聞こえます。カメラマーク1番目の位置です。神戸電鉄の最大勾配は50‰(50/1000)です。ちなみにラック(歯車)などを使わず車輪とレールの摩擦だけで登る普通鉄道では日本一の急勾配の箱根登山鉄道は80‰(80/1000)です。箱根登山鉄道の車両も川崎重工製が多かったです。
クリックすると拡大

急こう配なのが分かってもらえるでしょうか。こちらがカメラマーク2番目の位置です。
クリックすると拡大

丸山駅の少し手前から鈴蘭台駅までは動画を撮ったので紹介します。途中で3回ほど電車とすれ違いました。ただしトンネルの中の1回はカットしているので本動画には入っていません。もう一回はカーブのために電車の影だけです。本来は6分19秒の動画ですが、カットすることで5分3秒の動画になっています。
トンネルの長さはGoogleの航空写真で測った長さです。鵯越(ひよどりごえ)は平安時代末期の一ノ谷の戦いにおける奇襲「鵯越の逆落とし」で知られる鵯越です。場所に関しては諸説あるようですが、少なくとも名前が使われるほど険しいところなのです。
トンネルの名前は動画から読み取ってネットで検索して確定しました。菊水山隧道は菊水山を刳り貫く形で通っています。動画の初期画面に表示されているトンネルは3番目の烏原隧道(長さ57m)です。同じ初期画面の右下端に写っているのが廃駅となった菊水山駅ホーム入口の手摺でクリックすると拡大す。
 ❹0:07 丸山駅
クリックすると拡大 ❺1:17 鵯越駅(ひよどりごえ駅)
   1:46 中山トンネル 240m
   2:18 角山トンネル  49m
 ❻2:25 菊水山駅(廃駅) 2005年3月26日休止 2018年3月23日廃止
クリックすると拡大   2:37 烏原隧道    57m
   2:52 菊水山隧道 1180m
 ❼4:44 鈴蘭台駅


廃駅となった菊水山駅が気になっている方がおられると思います。残念ながら動画を撮っている間は写真が撮れなかったので、動画から静止画像を切り取って連続写真を作りました。角山トンネルの出口から連続写真が始まります。クリックすると代表的な1画面を拡大いたします。後半の画面で正面に見えているトンネルが烏原隧道です。
クリックすると拡大

4つのトンネルも動画の静止画像から切り取りました。菊水山隧道の入口はカーブの途中にあるので正面からは撮れませんでした。
      中山トンネル            角山トンネル
クリックすると拡大クリックすると拡大
       烏原隧道             菊水山隧道
クリックすると拡大クリックすると拡大

3回の電車のすれ違い時の写真を紹介します。最初の写真は急カーブのため電車の影だけです。影の中で車両と車両の隙間が2ヶ所明るく写っています。2枚目のトンネル(菊水山隧道)の中では暗いためピントは運転席のガラスに合っているために電車自体はピンボケになっています。まともに撮れているのは3枚目の鈴蘭台に着く寸前です。遠くに鈴蘭台駅が写っています。私が関東に引越したころは3枚目の写真の3000系の時代でした。3000系は神戸電鉄で初のアルミ合金製車体でした。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

写真で撮っていない丸山駅と鵯越駅と鈴蘭台駅も動画から切り取った静止画で紹介します。上段の左が丸山駅で右側が鵯越駅(ひよどりごえ駅)です。
下段の2枚が鈴蘭台駅です。
      丸山駅               鵯越駅
クリックすると拡大クリックすると拡大
      鈴蘭台駅              鈴蘭台駅
クリックすると拡大クリックすると拡大

ここから先はカメラで撮った写真です。
こちらの写真は鈴蘭台駅に停まっている時に撮りました。ここから路線分かれます。右側が三田および有馬温泉方面です。左側が三木および粟生方面です。
クリックすると拡大

三田方面に出発してすぐに電車とすれ違いました。上の地図のカメラマーク3番目の位置です。5014と書かれているので5000系電車です。
神戸電鉄では、6500系(3両)、6000系(8両)、5000系(40両)、2000系(17両)、3000系(36両)、1500系(6両)、デ1300形(10両)、デ1350形(12両)、1370形(4両)、1100系(26両)、1150系(5両)、クリックすると拡大デ1070形(6両)が保有されています。括弧内は製造数で現在の保有数ではありませんが新しい車両は保有数と考えて良いと思います。新開地駅で我々より前に出発した右の写真の鈴蘭台行き普通電車が1100系でした。1100系は約50年前の1969年~1972年に川崎重工業の兵庫工場で製造された車両です。
クリックすると拡大

新開地駅で我々より前に出発した鈴蘭台行き普通電車が1100系を拡大いたしました。神戸電鉄の旅客用の車両に関して詳しくまとめてみました。製造者は現在の会社名で正式には日本車輌製造(株)と川崎重工業(株)です。本リストはWikipediaに車両の形式別に記載されている内容をまとめたものです。現有数は製造数から廃車数を単純に引き算したものなので、Wikipediaに廃車数の全てが書かれていない場合は現有数が変わるので参考程度としてください。太平洋戦争の1941年12月8日~1945年8月15日は車両の製造は行われていません。車両の譲渡は神中鉄道からおこなわれた。旧車両の写真→ポチッ
形式 製造者 製造期間
(年)
改造
譲渡
完全
廃車
一部
廃車
製造
(両)
廃車
(両)
現有
(両)
デ1形 日本車輌 1928 1929   1967   10 10 0
デニ11形 日本車輌 1928 1928   1967   4 4 0
デ101形 日本車輌 1929 1929   1971   10 10 0
クハ141形 日本車輌 1929 1929 1944 1974   1 1 0
クハ131形  日本車輌 1935 1936 1942 1971   2 2 0
クハ151形 日本車輌 1937 1940 1942 1971   1 1 0
デ201形 川崎重工 1948 1948   1974   8 8 0
デ211形 川崎重工 1951 1951   1974   4 4 0
300系 川崎重工 1960 1964   1994   10 10 0
800系 川崎重工 1962 1968   1993   17 17 0
デ1000形 川崎重工 1965 1968   1995   10 10 0
デ1050形 川崎重工 1968 1968   2010   11 11 0
デ1070形 川崎重工 1974 1976     2010 6 4 2
1100系 川崎重工 1969 1972       39   39
1150系 川崎重工 1977 1987       6   6
デ1300形 川崎重工 1971 1973       10   10
1370形 川崎重工 1975 1979 1997     6   6
デ1350形 川崎重工 1979 1987       12   12
3000系 川崎重工 1973 1991       36   36
2000系 川崎重工 1991 1993       17   17
1500系 川崎重工 1991 1991       6   6
5000系 川崎重工 1994 1998       40   40
6000系 川崎重工 2008 2010       8   8
6500系 川崎重工 2016         3   3
            合計 277 92 185
クリックすると拡大

こちらが北鈴蘭第駅です。
クリックすると拡大

カーブが多いです。カメラマーク4番目の位置です。
クリックすると拡大

箕谷駅の一つ手前の山の街駅です。
クリックすると拡大

ここでも電車にすれ違いました。山の街駅から箕谷駅までは特にカーブが多かったです。カメラマーク5番目の位置です。5010と書かれているので、こちらも5000系電車です。5000系の主要諸元を紹介します。一番新しい新型は2016年製造からの6500系です。6000系は2008年~2010年製造です。
クリックすると拡大 製造所    川崎重工業
 製造年    1994年~1998年
 製造数    40両
 編成     4両編成
 軌間     1,067 mm
 電気方式   直流1500V
 最高運転速度 80 km/h
 設計最高速度 100 km/h
 起動加速度  3.0 km/h/s
 編成定員   122名(先頭車)133名 (中間車)
 全長     18,290 mm(先頭車)18,140 mm(中間車)
 全幅     2,700 mm
 全高     4,120 mm(パンタ付車)4,030 mm(パンタ無し車)
 車体     アルミニウム合金
 台車     軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車 KW-68
クリックすると拡大 主電動機   MB-5057A 三相かご形誘導電動機
 主電動機出力 120 kW
 駆動方式   平行カルダン駆動方式
 歯車比    7.07
 編成出力   1,920 kW
 制御方式   GTO素子VVVFインバータ制御
 制御装置   三菱電機製MAP-128-15V43 電力回生・発電ブレーキ付
 制動装置   MBSA形電気指令式電磁直通ブレーキ・保安ブレーキ
 保安装置   神鉄形ATS 防護無線
クリックすると拡大

この先を左に曲がったら箕谷駅です。カメラマーク6番目の位置です。
クリックすると拡大

箕谷駅です。これで地下にある湊川駅以外は、写真か動画で紹介したことになります。
クリックすると拡大

ホームに下りたところです。出口は最後尾で、私は電車の先頭に乗っていたのでホームの端から端まで歩きました。
クリックすると拡大

箕谷(みのたに)駅は無人駅でした。
クリックすると拡大

箕谷駅からの料金表を紹介します。神戸電鉄以外にも乗り継ぎ先までの料金がが書かれています。書かれている鉄道会社は山陽電車、地下鉄・西神・山手線、北神急行電鉄、神戸高速線、地下鉄・海岸線、阪急電鉄、阪神電鉄です。西方向で最も高いのは山陽の姫路の1370円で、東方向で一番高いのが阪急の河原町(京都)の1180円です。逆瀬川まで840円のわりに京都まで1180円で行けてしまうのにも驚きました。
クリックすると拡大

こちらが待合場所です。9時30分の待ち合わせに対して8時32分着の電車で着いたので誰も着ていませんでした。1時間前に来たのは前記事でも書いた通りクリックすると拡大皆とハイキングに行く前に、箕谷駅の近くにある国指定重要有形民俗文化財の下谷上農村歌舞伎舞台(しもたにがみ のうそん かぶきぶたい)を見に行くためでした。ハイキングの名前は「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」でした。
クリックすると拡大
  • 2019-05-01 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

Google地図への食事場所の登録

オリジナル記事→ポチッ

より大きな地図で 東京駅近くのレストラン を表示
食事をして記事に書くレベルのレストランをGoogle地図にプロットしております。元々は上の地図のように東京駅近辺で食事をしたレストランをプロットしていたものですが、そのうちに日本全体に広げてプロットするようになりました。最近は記事に書いた外国のレストランをプロットし始めて90%程度はプロット出来たので記事で紹介することにいたしました。

関東圏内に広げた地図です。
お店のマークの色は次のように区分しています。
海外の色に関しては近くのレストランが同じ色にならないように、いろんな色を使っていて特別な意味はありません。
 東京駅極周辺
 東京駅近郊(東京駅の西方向と南方向)
 東京駅近郊(東京駅の東方向と北方向)
 東京駅から離れた地域(日本国内限定)
  海外 (マークの色に特別な意味はありません。)


世界全体の範囲を表示させました。2018年12月2日16時45分の時点の本地図への登録数は日本と世界を合計して409店舗で、本地図の表示回数(アクセス数)は110,616回(約11万回)でした。
マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。重なっている下のマークをクリックしたい場合は地図上のを数回クリックして拡大してからマークをクリックしてください。
地 域 区 分 '18年12月02日
日本 232 店
フランス イタリア ドイツ スイス イギリス オーストリア 35 店
ベトナム インドネシア 15 店
カザフスタン パキスタン インド 17 店
ウクライナ エジプト トルコ モロッコ 12 店
ロシア 11 店
ハワイ バハマ 米国 メキシコ 15 店
中国 韓国 台湾 72 店
プロット数合計    232店(日本)+177店(海外) = 409 店
本Googel地図の表示回数(アクセス数) 110,616 回


海外のレストランのプロット数は177店は、各国への訪問回数(入国回数)274回と累計滞在日数1490日の中で、記事にしたレストラン数です。
       各国入国回数合計  274回
       各国累積滞在日数 1490日
クリックすると訪問回数グラフ表示

日本の全体を表示しました。同時に周辺地域(中国、台湾、韓国)のプロットの大部分が入るように東西方向をスライド調整いたしました。

 

ヨーロッパの範囲を表示させてきました。パリ市内で8店登録しているので拡大すると判ると思います。別画面でパリ市内を表示する場合はこちらをプロットしてください。→ポチッ
参考にこのヨーロッパの範囲の地図を記事内に表示するためのコードを紹介します。緑色のアンダーライン(━━)の部分が地図の中心の緯度,経度(ll=48.4,7.2)と地図の縮尺(z=5)です。ちなみに世界全体の地図は ll=50,150.5 z=1 で、冒頭の地図は ll=35.689,139.76944 z=12 です。表示形式は紫色ライン(━━)の部分で地図(t=m)と航空写真(t=h)と地形図(t=p)の指定が出来ます。
 
 


縮尺の表示コードをz=14にするとパリ市内の範囲の表示にすることも出来ます。この時の中心位置コードはll=48.8632,2.3362です。


各国の料理の写真を紹介します。基本的に各国1枚づつ掲載しています。例外はアメリカで、本土とハワイの写真を1枚づつ掲載していることです。掲載している国はフランス、スイス、オーストリア、ドイツ、イタリア、モロッコ、エジプト、トルコ、ウクライナ、ロシア、カザフスタン、パキスタン、インド、インドネシア、ベトナム、台湾、韓国、中国、ハワイ、アメリカ本土、バハマ、メキシコ、イギリス、日本です、訪問したけれども料理の記事を書いていないのはミヤンマー、タイ、マカオ、香港、オーストラリア、マレーシアです。これらの国の料理の写真を残していなかったのが悔やまれます。写真をクリックすると記事を表示します。
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 
 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大 

クリックすると拡大Google地図のレイヤ「ベトナム インドネシア」のデータービューを開くと下記のリストが出てきました。リストには入力した店名(名前欄)と記事のURL(説明欄)が一括表示されていました。


紹介のGoogle地図はプロットをはじめてから本記事掲載までに約11万回の表示回数になっていることから、その後の数値の推移をグラフにしてみました。1時間当たりの表示回数(回/Hr)も同時に表示させています。表示回数(回/Hr)が下がってきているのは、本記事を掲載したことで表示回数が上がって、その後の時間の経過に伴って数値が落ち着いてきているものと推測しましたが、その後の変化を見ると結構ばらついていました。12月6日頃は30回/Hr(2秒に1回)程度の表示回数(アクセス数)で安定しています。

  • 2018-12-02 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

初めて「ちゃっかりPlus」を使ってみました。 ジェットスター

オリジナル記事 → ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大先日行った北海道・積丹の赤ばふんうにツアーの帰りはLCCのジェットスターを使いました。帰りの便に関してはお土産を買って帰ることから機内持ち込み手荷物の重量制限7kg以内に荷物の重量を入れるのは難しい上にフライトの変更がありうることから、その2つの条件を満たすオプショ「ちゃっかりPlus」を使ってみました。上の搭乗券の赤枠で囲っているStarter Plusが「ちゃっかりPlus」であることを示しています。ただし往の成田→千歳はオプションなしの最低料金のフライトにいたしました。

オプション料金は+2000円ですが、預ける荷物が10kgとフライト変更1回が無料になるのです。実際にフライトを変更することになったので今回の選択は大正解でした。普通は日時変更のためには3240円が必要です。
                    ×でも*は追加料金で可
項目 最低料金 フレックス ちゃっかり しっかり
Biz Plus Max
追加料金   +2000円 +2000円 +9100円
座席指定 * × 〇 △ ◎
機内持込手荷物 7kg 10kg 7kg 7kg
受託手荷物 * × × 10kg 30kg
JALマイル取得 × × 〇 〇
食事 × × × ×
出発地・到着地変更 × 〇 × 〇
日時変更手数料なし × 〇 〇 〇
払戻し × 〇 × 〇
機内飲み物250円 * × × 〇 〇
欠航運休見舞金など × × 〇 〇

LCCで荷物を預けるのも初めてでした。自動チェックイン機で搭乗券を発券すると下記の荷物タグが出てきます。このタグと荷物を荷物受託カウンターに持って行くと手続きをしてくれました。単独で 受託手荷物 を事前に申し込む場合は最低が15kgなのです。お土産を持って帰るだけなので「ちゃっかりPlus」の10kgの選定は丁度良い感じでした。
   15kg:1200円  20kg:1400円  25kg:1700円  
   30kg:2200円  35kg:2500円  40kg:2800円
クリックすると拡大
クリックすると拡大


新千歳空港ではジェットスター専用の入口(Fゲート)になっていて安全検査の前に機内手荷物の重量チェックがありました。重量が7㎏を越えていると荷物を預けて料金を徴収されるところでした。今回は「ちゃっかりPlus」にしていてよかったです。
クリックすると拡大

こちらは搭乗口です。
クリックすると拡大

搭乗して窓の外を見るとLCCの飛行機が2機ほど見えました。手前がスカイマーク(SKY)で、奥がフジドリームエアラインズ(FDA)です。FDAは所有している11機の機体の塗装色が全て違うのが特徴クリックすると拡大です。
1号機からドリームレッド、ライトブルー、ピンク、グリーン、オレンジ、パープル、イエロー、ティーグリーン、ゴールド、シルバー、グリーン、です。右の写真の機体はオレンジ色だったので5号機です。
クリックすると拡大

新千歳空港の離陸を動画で紹介します。離陸寸前から水平飛行になるまでの動画です。


LCCでは飲み物類は有料ですが、「ちゃっかりPlus」では500円の飲み物に関しては無料で出てくるので温かい日本茶を頼むと、下の写真のようにお湯とティーパックが出されました。
クリックすると拡大

結構美味しいお茶でした。
クリックすると拡大

窓の景色を見ながらゆっくりとフライトを楽しみました。
クリックすると拡大

成田空港に近づくと霞ヶ浦が見えてきました。
クリックすると拡大

着陸時の動画も紹介します。
オリジナルは着陸11分14秒前から撮った動画ですが、着陸寸前からに編集しております。機内放送が始まるのは頭から56秒後です。
 オリジナルの動画(全14分22秒)→ポチッ
  • 2017-10-09 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

赤ばふん生うに丼 みさき

オリジナル記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2017年7月21日から7月23日まで北海道旅行に行ってきました。目的は2014年4月1日に北海道の転勤なった長男家族に初めて会いに行くことですが、この時期に決めたのは上の写真の貴重な赤バフンウニを食べに行くためでした。赤バフンウニの正式名称はエゾバフンウニです。食べることが出来るのは6月から8月で、7月が美味しいとのことでした。他のウニに比べて収穫量が少ないことから貴重なウニです。北海道の積丹(しゃこたん)で、その赤バフンウニを食べさせる超有名なお店に長男家族に連れて行ってもらったのでした。
そのお店は漁師が経営しており、自ら朝に採ってきた赤バフンウニを割って丼にして出す「赤ばふん生うに丼」は1日15食限定なのです。それを食べるためには開店と同時にお店に入る必要があるのですが、お店では名前を書く紙が開店より前に入口に出されるので、長男だけが宿泊している宿を朝早く出発して名前を記入て、宿に戻って朝食をとって開店前にお店に着くようにみんなで宿を出発することにいたしました。私もそれを体験させてもらうために長男と一緒に記入のために朝早く行ってみることにいたしました。

宿である「汐さいの宿 海浜館」からお店までの距離は17.3km(━━)です。つまり名前を書くためだけに往復で34.6kmほど走るのです。
  赤バンフウニをたべたお店 みさき
  我々が宿泊した宿     汐さいの宿 海浜館
  アイスクリーム食べたお店 ホームメイドアイスクリーム
 ━━ 汐さいの宿→ みさき 17.3km


宿泊場所は北海道積丹郡積丹町大字美国町字船澗366-4にある「汐さいの宿 海浜館」で宿泊した部屋からは黄金岬とビヤノ岬と宝島とゴメ島が目の前に見えます。右端の島が宝島で、小さな岩礁がゴメ島で、左に見える岬がビヤノ岬です。この写真は朝の散歩で黄金岬に登って撮ったものです。本写真はクリックすると横長画面で特別に大きく拡大します。
クリックすると拡大

宿を長男と一緒に出発しました。宿の前です。隧道の名前はクリックすると拡大茶津トンネルです。下の写真では上から垂れ下がっている草木のためにトンネルの名前を読むことが出来ませんでしたが反対側から撮った写真がありました。
クリックすると拡大

あと2kmのところで赤バフンウニを食べることが出来る「中村屋」と「みさき」の看板がありました。
クリックすると拡大

お店に着くまでの海沿いの景色です。遠くに見えているのが積丹岬です。
クリックすると拡大

写真の左のカーブを曲がった先に見える白っぽい建物が目的の「みさき」です。その少し手前の2つの生うに丼の看板が立っているのが「中村屋」です。両方ともに漁師がやっているお店です。 
クリックすると拡大

目的のお店が目の前で車の中から撮った写真です。すでに1台の車が到着していて駐車していました。
クリックすると拡大

左端の赤い車が我々より早く来ていた車です。我々は右のシルバー色の車です。赤い車の人が1番で、我々が2番でしたが、まだ名前を書く紙が出されていませんでした。
クリックすると拡大

名前を書くのは長男に任せて、私は目の前の海の写真を撮りに海の方に行きました。
クリックすると拡大

お店に戻ってくるとすでに紙が出されて名前が書かれていました。到着後3分後に紙が出されたそうです。私はその1分後にお店に戻ってきたとのことでした。我々は2番目に書くことが出来ました。1番の組は4名で、我々も4名でした。一人は2歳なので注文するのは3食予定です。これで1日限定15食の赤ばふん生うに丼を食べれることが出来そうです。紙が出された時間は記載すると今後さらにエスカレートすると思われるので、あえて時間は伏せさせていただきます。1番の方に後で話を聞くと、北海道の方で家を暗い内から出発してここに直接来られたと言われていました。出発時間は教えてもらいましたが、同様の理由で記載は控えたいと思います。
クリックすると拡大

一旦、泊まっている宿に帰って朝食を食べてから全員で開店時間に合わせて来ればよいことになります。したがって、ここにいる必要がないのですぐに泊まっている宿に向かって出発いたしました。お店の開店は9時15分~30分ごろとのことなので、再訪は9時頃でもよいのですが、開店時間では駐車スペースがなくなってしまうので、8時半までには来るつもりです。
クリックすると拡大

宿に戻る途中で看板が沢山あることに気が付きました。この写真では「みさき」だけですが、「中村屋」の看板も沢山ありました。これほど沢山の看板を出しているお店は無かったので、どうやら一般の人が赤バフンウニを食べることが出来るのは、積丹では漁師直営の2軒だけのようです。
クリックすると拡大

朝食を食べた後に宿「汐さいの宿 海浜館」をチェックアウトして、今度は4人全員で出発いたしました。写真は宿の駐車場を出発するところです。
うれしいことに宿の女将に見送っていただけました。
クリックすると拡大

赤バフウニが食べれるお店までの景色を3枚の写真で紹介します。
クリックすると拡大

道の境を示す↓標識が並んでいる景色です。雪が深いことが判ります。
クリックすると拡大

山間部から海の見える場所に出ました。ここから右に曲がって海沿いを走りました。ここから2kmでお店に着きます。お店から、さらに進むと積丹岬(しゃこたんみさき)に行けます。左に曲がると神威岬(かむいみさき)です。
クリックすると拡大

お店の前まで来ました。開店前でしたが沢山の車が駐車していました。これは予想したことでした。
クリックすると拡大

お店の近く駐車場は満車になっており、70m奥にある駐車場に行きました。そこにはまだ1台しか駐車していませんでした。つまり我々が2番目でした。


奥の駐車場からお店に戻って来ました。レンタカーカーの方が多いのに驚かされました。店の前は早い時間帯に来られた方ですがそこのレンタカーは2割程度でしたが、開店前後に停める人が多い奥の駐車場は約8割がレンターカーでした。つまり北海道以外からも沢山の人が来られているのだと感じました。


この時はすでに14組(38名)の名前が書かれていました。
14組の内訳は4名+4名(SORI)+2名+2名+2名+8名+3名+3名+2名+2名+3名+2名+2名+1名=38名でした。すでに開店前に1日限定15食を越えていましたやっぱり早く来てよかったと実感いたしました。
クリックすると拡大

お店の隣には積丹神社がありました。ここにも駐車出来るスペースがありましたが、我々は正規のお店の駐車場に停めました。
クリックすると拡大

お店の前のバス停です。バス停の名前は日司(ひづか)でした。中央バス積丹線で一日に両方方向共に6本でした。
 小樽方面  06:51 10:57 12:37 14:06 15:37 18:27
 神威岬方面 08:53 10:53 12:03 13:53 17:03 18:43
クリックすると拡大

開店まで時間がたっぷりあったので海の方に出て、お店の方向の写真を撮りました。ウニを採るための船が沢山並んでいました。確認出来た船名は漁栄丸と真美丸と第一明見丸でした。
クリックすると拡大

反対方向から、うに獲り舟を撮りました。手前の箱が舟の巻き上げ機です。堤防から海の中を除くと沢山のウニを見ることが出来たことからウニの多さを実感することが出来ました。ここの海の色は積丹ブルー(シャコタンブルー)と呼ばれています。
クリックすると拡大

こちらが、ウニを獲るための船です。
こちらは日司漁港(ひづかぎょこう Hiduka Fishing Port)です。 
クリックすると拡大

船にはウニを獲るための網が積まれていました。船の上から海の底を見ながら、一つ一つウニを獲っている姿が目に浮かびます。
クリックすると拡大

写真に写っている子供が2歳の孫です。
クリックすると拡大

開店が近くなったのでお店に戻りました。時間は9時8分で23組(62名)が記入されていました。24の欄まで記入されていますが、22の欄の方が横棒線で消されて隣のお店「中村屋」の方に行かれました。
クリックすると拡大

赤ばふん生うに丼が食べれるもう一軒のお店「中村屋」にも車が沢山駐車していました。
クリックすると拡大

のれんをかける作業が始まりました。すると、周辺で待っていたみなさんが集まってきました。
クリックすると拡大

のれんがかけ終わったところで店員さんから説明がありました。記帳された順番に名前を呼ばれてテーブルに1組づつ案内されます。注文はテーブルの上に置かれているボタンを押すと店員の方が来られるので、その人に注文内容を伝えます。
テーブルへの案内は間隔をあけて行われますが、数が少ない赤ばふん生うに丼を注文する人は、注文内容を事前に決めておいて、席に着いたらすぐにボタンを押して注文を伝えることをお薦めします。迷って時間をかけていると、後からの人が先に注文してしまう可能性もあるのです。
クリックすると拡大

店内の景色です。左奥が1組目の人たちです。


座った席からの写真です。店員さんが3組目を迎えに行くところです。
クリックすると拡大

こちらが丼物と定食関係のメニュー(おしながき)です。クリックすると拡大もちろん、赤ばふん生うに丼を頼みました。味を比べてみたかったので生うに丼も頼みました。生うに丼の生うにはキタムラサキウニと思われます。もう一軒の赤バウンウニが食べれる中村屋の前まで行くとメニューが貼られていて生ウニはムラサキウニと書かれていましたが積丹で獲れるもう一種類のキタムラサキウニと推察したわけです。
注文内容は次の通りです。
 赤バフンウニ丼   4950円 x 2食
 キタムラサキウニ丼 2600円 x 1食
 合計金額      12500円
クリックすると拡大

一品料理や飲み物類のメニュー(おしながき)も参考に掲載します。
並んでいる人が多いので追加注文は出来ないので、最初に全て注文する必要がありました。また「活うに」と、「活うに」が入った「生うに丼セット」は、時化(しけ)のためお休みでした。
クリックすると拡大

注文が終わったところで、名前の記入の紙を確認に行ってみました。
この時、29組(75名)で、テーブルに案内されたは5組(14名)でした。22組目(60人目)の方は15組限定の赤バフンウニは食べれないと判断して中村屋の方に行かれたそうです。この時が9時16分なので8分間で23組(62名)→29組(75名)と6組(13名)が記入されたわけです。
クリックすると拡大

待望の、赤ばふん生うに丼が出てきました。目の覚めるような赤い色の雲丹でした。こちらのお店は漁師の方が当日の早朝に自ら獲ってきたウニを割って出しているそうです。お店の方に確認したところ、日によって獲る量は違うようでこの日は沢山の人が食べれたようです。赤ばふん生うに丼以外に、赤ばふんうに丼や赤うに丼と呼ばれることがあります。
クリックすると拡大

雲丹丼だけを拡大いたしました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。赤バフンウニの分類を紹介します。
  界:動物界       Animalia
  門:棘皮動物門     Echinodermata
  綱:ウニ綱       Echinoidea
 亜綱:真ウニ亜綱     Euechinoidea
 上目:ホンウニ上目    Echinacea
  目:ホンウニ目     Echinoida
 亜目:ホンウニ亜目    Echinina
  科:オオバフンウニ科  Strongylocentroidae
  属:オオバフンウニ属  Strongylocentrous
  種:エゾバフンウニ   Strongylocentrotus intermedius
 俗称:赤バフンウニ
クリックすると拡大

上の写真はフラッシュを使っていますがツブツブがしっかり見れるようにフラッシュなしの写真を掲載いたしました。こちらもクリックすると特別に大きく拡大いたします。エゾバフンウニはバフンウニと全くの別の種です。バフンウニは オオバフンウニ科バフンウニ属で北海道南端から九州・中国中南部沿岸・朝鮮半島南部に生息しています。バフンウニも多く食べられていますが時期により苦み成分のプルケリミンが増加することから、エゾバフンウニ(赤バフンウニ)が美味しいと言われる化学的根拠になっている可能性が高いです。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大いたしますがクリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
エゾバフンウニ(赤バフンウニ)は北海道周辺の冷涼な沿岸に生息しているものが主に食用とされています。エゾバフンウニは雑食で、動物性の餌を食べたものはアミノ酸のバリンが蓄積される影響で苦みを呈することがあることから、コンブなどの海藻類を餌にしている方が美味しいとされていることから、コンブの多い積丹のエゾバフンウニは美味しいとされて特別に赤バフンウニと呼ばれているようです。
クリックすると拡大

比較のために注文した生うに丼と比較してみました。赤ばふんうに丼を赤うに丼と呼ばれることがあるのに対して白うに丼と呼ばれることもあります。
クリックすると拡大

積丹では2種類のウニが獲れるそうです。一つがすでに紹介した赤バフンウニ(エゾバフンウニ)で、もう一つがキタムラサキウニです。こちらも積丹の昆布を食べた美味しいウニです。やはり朝に獲ったものを割って丼に乗せて出すそうです。一般的なムラサキウニは、ナガウニ科(Echinometridae)ムラサキウニ属(Heliocidaris)に分類されるのに対してキタムラサキウニはオオバフンウニ科(Strongylocentroidae)オオバフンウニ属(Strongylocentrous)であることからムラサキウニよりは赤バフンウニに近い種類と言えます。ただし白ウニと呼ばれるように色は全く違います。
  界:動物界       Animalia
  門:棘皮動物門     Echinodermata
  綱:ウニ綱       Echinoidea
 亜綱:真ウニ亜綱     Euechinoidea
 上目:ホンウニ上目    Echinacea
  目:ホンウニ目     Echinoida
 亜目:ホンウニ亜目    Echinina
  科:オオバフンウニ科  Strongylocentroidae
  属:オオバフンウニ属  Strongylocentrous
  種:キタムラサキウニ  Strongylocentrotus nudus
クリックすると拡大

左がキタムラサキウニで、右がエゾバウンウニ(赤バフンウニ)です。
上で書かせていただいたように、この日は時化(しけ)のために殻付きのウニの提供はなかったことから、本写真をネットから転用させていただきました。


お味噌汁の写真も掲載いたします。
クリックすると拡大

食べている実感を感じてもらえるかもしれない写真も掲載いたします。赤バフンウニのフラッシュなしの写真です。
クリックすると拡大

3割くらい食べた写真です。
クリックすると拡大

こちらも拡大いたしました。宿で朝食をしっかりと食べてきましたが、全く関係なくペロリと食べてしまいました。
クリックすると拡大

食べ終わった帰るときに、名前の紙を見ると3枚目で、35+36+4=75組が来られていたことになります。29組の時に75名でなので平均は2.58名/組であったことから、我々が帰る時点で約200名(=75x2.58=194名)が来ていたことになります。
クリックすると拡大

帰るときの車の中からの写真ですが、大変な車の数でした。
クリックすると拡大

満車の看板も出ていました。公式の開店は9時45分ですが、お客が多いので準備が出来次第早めに開店するようです。この日の開店時間の事前提示は9時15分~9時30分で、実際の開店は9時15分でした。
みさきを紹介します。44年前の1973年にお店を始めたそうです。
 店名 みさき
 住所 北海道積丹郡積丹町大字日司町236
 電話 0135-45-6547
 営業 9:45~16:00(4月下旬~10月31日)
 定休 基本的に毎月第2、第4水曜日(不定休)
 創業 1973年
クリックすると拡大

ネットのTripAdvisor Galleryによると北海道のウニ丼の名店8選は次のお店だそうです。函館市のうにむらかみでウニ丼を食べたことがあります。店名をクリックすると位置を表示します。
積丹のエリアの積丹町と余市町のお店が4店舗(50%=4÷8)も入っていて、その4店舗の中に「みさき」と「中村屋」も入っていました。広い北海道の中で積丹エリアが50%の数値であることからもウニと言えば積丹(しゃこたん)なのだと感じました。店名をクリックすると周辺地図を表示します。「みさき」と「中村屋」のマークは重なっているので積丹エリアは3店舗にしか見えませんが4店舗なのです。右の写真は函館の「うになかむら」のウニ丼です。丁寧にウニが並べられているのが特徴でした。
クリックすると拡大 積丹町 みさき
 積丹町 中村屋
 積丹町 田村 岩太郎 商店
 余市町 柿崎商店海鮮工房
 函館市 うにむらかみ 函館本店
 羅臼町 羅臼の海味 知床食堂
 礼文島 海鮮処 かふか
 利尻島 食堂 丸善


赤ばふん生うに丼が食べれるもう一軒のお店である中村屋も紹介します。上で紹介した「みさき」とは直線距離で85mの場所にあるため待っている時にお店の前まで行き写真を撮りました。
クリックすると拡大

こちらのお店ではメニューが貼られていました。10食限定のスペシャルうに丼が気になります。2種類のウニが乗った丼ではないかと思いました。メニューの「赤うに」はおそらく上で書いている赤バフンウニ(エゾバフンウニ)で、「むらさきうに」はキタムラサキウニだと思われます。ムラサキウニの主な産地は兵庫県・徳島県・三重県で、生息域は日本海では青森県以南、太平洋では茨城県以南であることもキタムラサキウニとした理由です。ネットで調べてみるとエビ捕り漁師さんが、1999年に番屋を改造して始めた食堂で、クリックすると拡大スペシャルうに丼はネットから転用させていただいた右の写真のような2種類が入った生うに丼でした。
 赤うに丼(ばふんうに)  5500円 
 生うに丼(むらさきうに) 2800円
クリックすると拡大

こちらも開店前から「みさき」ほどではありませんが沢山の名前が書かれていました。クリックするとメニュー(おしながき)の一部が読み取れます。上の価格は、そこから読み取りました。この時の時刻は8時40分でした。
クリックすると拡大

中村屋を紹介します。
 店名 中村屋
 住所 北海道積丹郡積丹町日司町50-1
 電話 0135-45-6500
 営業 9:00~18:00(季節にり変動) 4月上旬~11月中旬
 定休 第2,4火曜休み
 創業 1999年
クリックすると拡大

広い範囲の地図で「みさき」と「中村屋」の位置を紹介します。他のマークは今回の旅で訪問した場所です。最近食事をしたレストランの地図にも「みさき」を追記いたしました。→ポッチ
  みさき 中村屋   赤ばふん生うに丼
  汐さいの宿・海浜館 泊まった宿
  積丹出岬灯台
  山本観光果樹園   さくらんぼ狩り
  味の一平      味噌ラーメン
  きのこ王国     きのこ汁
  手打蕎麦 いちむら
  ホームメイドアイスクリーム
  ニッカウヰスキー余市蒸溜所
  ニセコ 髙橋牧場
  • 2017-08-20 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

変わった形のクモ(蜘蛛)

オリジナル記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
変わった形の虫が庭の地面を歩いていました。クモ(蜘蛛)のようですが、はっきり判らないので写真を撮ってみることにいたしました。撮った写真のほとんどが地面や芝の方にピントが合ってしまいクリヤーに撮れませんてしたが、一枚だけ足にピントが合った写真が撮れました。足が八本なのでクモのようです。地面を歩くクモですが、非常に足が長く素早く動くので、タイトルを「変わった形のクモ(蜘蛛)」とつけさせてもらいました。
クモ(英語:Spider)は沢山の種類があることでも有名です。クモの研究者である谷川明男さんが作った日本産クモ類目録(2005年版)では約1400種のクモが掲載されています。その後もクモの種数は増えていて、まだ名前が付けられていないクモも沢山いるので、1500種以上になるのではないかと考えられているそうです。世界ではアメリカのプラトニック博士が作ったネット上の世界のクモカタログ(World Spider Catalog Version 18.0)に掲載されている2017年6月7日付の数は46739種です。日々、カタログは更新されているようです。
クリックすると拡大  界:動物界       Animalia
  門:節足動物門     Arthropoda
 亜門:鋏角亜門      Chelicerata
 上綱:クモ上綱      Cryptopneustida
  綱:クモ綱 (蛛形綱) Arachnida
 亜綱:クモ亜綱(書肺類) Tetrapulmonata
  目:クモ目       Araneae
  科:112科(Family)
  属:4056属(Genera)
  種:46739種(Species)  日々増えています。

動画を撮ったので見てほしいです。足が長いだけに素早く動いていました。


2017年6月7日付のクモカタログリストを紹介します。
   Currently valid spider genera and species (2017-06-07)
番号 科 Family 属(Genera) 種(Species)
1 ヤノテグモ科 Actinopodidae 3 48
2 タナグモ科 Agelenidae 79 1274
3 ガケジグモ科 Amaurobiidae 51 286
4 ハシエグモ科 Ammoxenidae 4 18
5 ヨミチグモ科 Amphinectidae 32 159
6 ヨリメグモ科 Anapidae 58 223
7 カネコトタテグモ科 Antrodiaetidae 2 35
8 イヅツグモ科 Anyphaenidae 57 558
9 コガネグモ科 Araneidae 172 3119
10 アゴダチグモ科 Archaeidae 4 71
11   Arkyidae 2 37
12 ジグモ科 Atypidae 3 52
13 ムカシボロアミグモ科 Austrochilidae 3 9
14 ヒラアゴツチグモ科 Barychelidae 42 296
15 カガチグモ科 Caponiidae 17 105
16 イトガレホウシグモ科 Chummidae 1 2
17 イダテングモ科 Cithaeronidae 2 8
18 フクログモ科 Clubionidae 15 614
19 ネコグモ科 Corinnidae 67 777
20 シボグモ科 Ctenidae 47 514
21 トタテグモ科 Ctenizidae 9 135
22   Cyatholipidae 23 58
23 ナミハグモ科 Cybaeidae 10 188
24 マルシボグモ科 Cycloctenidae 5 36
25 モサトタテグモ科 Cyrtaucheniidae 11 107
26 メダマグモ科 Deinopidae 2 61
27 ウシオグモ科 Desidae 37 175
28 ハグモ科 Dictynidae 55 615
29 コトグモ科 Diguetidae 2 15
30 ホンジョウゴグモ科 Dipluridae 26 188
31 アヤグモ科 Drymusidae 1 16
32 イノシシグモ科 Dysderidae 24 542
33 イワガネグモ科 Eresidae 9 98
34   Euctenizidae 7 76
35   Eutichuridae 12 344
36 カヤシマグモ科 Filistatidae 19 152
37 アイアイグモ科 Gallieniellidae 10 55
38 ワシグモ科 Gnaphosidae 125 2197
39 ハガクレグモ科 Gradungulidae 7 16
40 ハタケグモ科 Hahniidae 28 250
41 ナガイボグモ科 Hersiliidae 16 180
42 ジョウゴグモ科 Hexathelidae 12 113
43 トモツメグモ科 Homalonychidae 1 3
44 ハットングモ科 Huttoniidae 1 1
45 エボシグモ科 Hypochilidae 2 12
46 カワリトタテグモ科 Idiopidae 22 325
47 オジロワシグモ科 Lamponidae 23 192
48 マシラグモ科 Leptonetidae 23 300
49 サラグモ科 Linyphiidae 603 4545
50 ウラシマグモ科 Liocranidae 31 270
51 ハラフシグモ科 Liphistiidae 8 96
52 コモリグモ科 Lycosidae 123 2405
53 ヒメセンショウグモ科 Malkaridae 11 46
54 イボナガジョウゴグモ科 Mecicobothriidae 4 9
55 パタゴニアヤシャグモ科 Mecysmaucheniidae 7 25
56   Megadictynidae 2 2
57 ビキモンジョウゴグモ科 Microstigmatidae 7 17
58 アゴマルトタテグモ科 Migidae 11 97
59 センショウグモ科 Mimetidae 11 150
60 ツチフクログモ科 Miturgidae 32 157
61   Mysmenidae 13 137
62 イボブトグモ科 Nemesiidae 45 401
63 ホラヒメグモ科 Nesticidae 15 278
64 アカクログモ科 Nicodamidae 7 27
65 エンコウグモ科 Ochyroceratidae 15 191
66 チリグモ科 Oecobiidae 6 111
67 タマゴグモ科 Oonopidae 114 1775
68 フタヅメイノシシグモ科 Orsolobidae 30 188
69 ササグモ科 Oxyopidae 9 457
70 エグチグモ科 Palpimanidae 18 142
71 ヘリカタジグモ科 Paratropididae 4 11
72   Penestomidae 1 9
73 トゲヌキエンマグモ科 Periegopidae 1 3
74 エビグモ科 Philodromidae 31 542
75 ユウレイグモ科 Pholcidae 80 1600
76   Phrurolithidae 14 218
77   Physoglenidae 13 72
78 トゲガケジグモ科 Phyxelididae 14 64
79 ピモサラグモ科 Pimoidae 4 40
80 キシダグモ科 Pisauridae 47 335
81 クチコグモ科 Plectreuridae 2 31
82 イヨグモ科 Prodidomidae 31 309
83 ボロアミグモ科 Psechridae 2 61
84 ハエトリグモ科 Salticidae 625 5950
85 ヤマシログモ科 Scytodidae 5 233
86 エンマグモ科 Segestriidae 4 124
87 アワセグモ科 Selenopidae 10 257
88 ホシダカグモ科 Senoculidae 1 31
89 イトグモ科 Sicariidae 3 143
90 アシダカグモ科 Sparassidae 87 1215
91 カレイトグモ科 Stenochilidae 2 13
92   Stiphidiidae 22 135
93   Symphytognathidae 8 71
94 アレチコツブグモ科 Synaphridae 3 13
95 ヤセヒメグモ科 Synotaxidae 1 10
96 ヤギヌマグモ科 Telemidae 9 66
97 ジャバラグモ科 Tetrablemmidae 31 166
98 アシナガグモ科 Tetragnathidae 48 987
99 オオツチグモ科 Theraphosidae 143 958
100 ヒメグモ科 Theridiidae 124 2477
101   Theridiosomatidae 18 111
102 カニグモ科 Thomisidae 174 2159
103 ヤマトガケジグモ科 Titanoecidae 5 54
104   Trachelidae 16 208
105 ヒトエグモ科 Trechaleidae 16 120
106   Trochanteriidae 19 153
107   Trogloraptoridae 1 1
108   Udubidae 4 12
109 ウズグモ科 Uloboridae 19 283
110   Viridasiidae 2 9
111 ホウシグモ科 Zodariidae 84 1126
112 スオウグモ科 Zoropsidae 26 178
    Total 4059 46739


上記リスト以外に日本のWikipediaに書かれたいた科名
番号 科 Family 属(Genera) 種(Species)
  ミズグモ科 Argyronetidae    
  ワスレナグモ科 Calommatidae    
  ヌノカケグモ科 Chatolipidae     
  コマチグモ科 Chiracanthiidae     
  ヤチグモ科 Coelotidae     
  シャモグモ科 Holarchaeidae     
  ナゲナワグモ科 Mastophridae     
  ホシグモ科 Micropholcommatidae    
  ジョロウグモ科 Nephilidae     
  ヤシャグモ科 Parachaeidae    
  ナキタナアミグモ科 Stiphiidae     
  ヨロイカニグモ科 Stiphropidae     
  ユアギグモ科 Symphytogathidae     
  サシアシグモ科 Techaleidae    
  ヘリツメグモ科 Tengeriidae    
  カラカラグモ科 Theirdiosomatidae    
  ヒラタグモ科 Urocteidae    
  ミヤマシボグモ科 Zoridae     
  アメリカヘリツメグモ科 Zorocratidae     

  • 2017-06-08 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

送電線取替工事 新旧の送電線の交換方法

オリジナル記事→ポチッ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2016年の12月から50万ボルト超々高圧送電線である房総線で送電線の取替工事が始まりました。ただし、送電線取替工事以前から2基(30鉄塔、31鉄塔)の建替え工事が行われていました。送電線の取替工事に気が付いて初めて写真を撮ったのが2016年12月16日でした。その写真が右下の2枚の写真で12月18日の記事「みのむし軍団 高圧送電線補修のプロフェッショナル」に掲載させていただきました。送電線の取替工事の手順は概ね次の通りです。これを6回繰り返します。上の写真は2017年3月11日の朝に撮ったものです。送電線そのものの取替は6本とも完了し右側の1番下段の最後の工事(⑬~⑰)が残っているのみです。人が鉄塔間で送電線を渡るのが①②⑥⑬⑭⑮の6回なので計36回ほど鉄塔間を人が渡るのです。
右下の写真は①のスパイラルロッドの取外し作業です。上の①~⑯の手順の中で気になるのが⑦と⑩の新旧の送電線の交換作業です。送電線の場所には住宅地もあることから送電線間では送電線を地上に下すことが出来ないのです。そのような条件で古い送電線をどのように外して、新しい送電線をどのように取り付けるのかを知りたかったわけです。本記事ではその作業を紹介したいと思います。①~③ ⑭~⑰は左右それぞれまとめて行われます。本記事「新旧の送電線の交換方法」での紹介は赤色文字の作業です。着色番号(①)はすでに過去記事で紹介した作業です。YouTube登録動画はこちら→ポチッ
クリックすると拡大 送電線取替工事手順
 ① スパイラルロッドの取外し
 ② 4導体用スペーサーの取外し
 ③ ジャンパ線取外し & 碍子の取替
 ④ 滑車の取付 
 ⑤ 2本送電線の連続化
 ⑥ 吊り下げ金具の取付
 ⑦ 4本の送電線の内2本の新旧交換
クリックすると拡大 ⑧ 2本送電線の連続化
 ⑨ 滑車への送電線かけ換え
 ⑩ 4本の送電線の内2本の新旧交換
 ⑪ 吊り下げ金具の取外し
 ⑫ 碍子に送電線取り付け
 ⑬ 滑車の取外し
 ⑭ 4導体用スペーサーの取付
 ⑮ スパイラルロッドの取付
 ⑯ 点検(スパイラルロッドとスペーサーの取付状況の確認?)
 ⑰ ジャンパ線の設置(プレハブジャンパを使用)

送電線の交換は下記の地図の24鉄塔から32鉄塔までの3770m(━━)の古い送電線を一気に新しい送電線に交換します。地図上のはいずれも鉄塔ですが、今回の工事の中で24鉄塔( )と32鉄塔( )が特別な役割のある鉄塔なのです。 から新しい送電線を送出し、から古い送電線を下すのです。地図内の30鉄塔と31鉄塔の高さは建て替え前の古い数値です。冒頭の写真は手前から27鉄塔、26鉄塔、25鉄塔です。
この地図の表示されている範囲で標高(海抜)の一番高い地面に建てられているのが25鉄塔です。一番低い地面に建てられているのが32鉄塔です。
 送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
 送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
 シルバー塗装鉄塔
 赤白塗装鉄塔
 ━━ 送電線一括交換部分 3770m  房総線鉄塔の高さデーター → ポチッ



送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
この場所から新しい送電線が送り出されます。見えている鉄塔は24鉄塔です。写真の一番左端に新しい送電線が巻かれた黄色いドラムが置かれています。鉄塔の高さは目測で55m前後です。
クリックすると拡大

先ずは、この動画を見てもらうと新しい送電線が送り出されている様子を見ることが出来ます。送電線が巻き付けられたドラムから牽引機で引っ張りだされています。新しい送電線の先端は古い送電線の一番後ろににつながれていています。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。


鉄塔には大きな滑車があります。送電線はこの大型滑車を通って送り出されていきます。この大型滑車の正式名はクローラー金車だそうです。YouToubにPirokiさんからコメントをいただきました。
動画の最初は左側の送電線の接続部分が現れます。2つの接続部分がが通過した後、右の送電線の接続部分が現れます。その次に別の角度から見た動画になります。2つ接続部は耐張型鉄塔部分に取り付けられるジャンパー線部分と思われます。このことから、正確に切断した送電線をカップリングで接続して送り出していることがわかります。


写真でも作業現場の全景を紹介します。
クリックすると拡大

これが新しい送電線が巻き付けられたドラムです。
クリックすると拡大

これは送電線の牽引機のような機械だと思われます。送電線がドラムに4回巻き付けられています。この牽引機は正式には延線機と呼ばれています。
クリックすると拡大

牽引機(延線機)の部分を拡大いたしました。この写真だと送電線が4回巻き付けられていることもよくわかると思います。
クリックすると拡大

鉄塔に取り付けられた滑車(クローラー金車)です。円形ではないのでガイドローラーはチェーンかキャタピラ(クローラー)のような構造のものだと思われます。キャタピラはキャタピラ社のクローラーの商品名です。
クリックすると拡大

交換作業が始まる寸前に作業現場に来てみました。畑を借りて広い仮設の作業場を作っていました。正月明けとなる2017年1月5日の写真です。
クリックすると拡大

すでに新しい送電線が持ち込まれていました。
クリックすると拡大

機材や新しい送電線を持ち込むために畑に鉄板を引いて仮設の大きな道路も作られていました。見えている鉄塔は北側に建っている23鉄塔です。
クリックすると拡大

見学している時に、大型トラックが新しい送電線を持ち込んできました。距離が3.77Kmとすると必要長さは約90km(=3.77×4×6)になります。
クリックすると拡大


送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
24鉄塔から送り出される新しい送電線を引っ張りながら古い送電線を下すのが、写真の中の一番右の32鉄塔です。32鉄塔の周りは住宅地で、上の24鉄塔のように広い作業スペースは無いように思われます。そのために黄色の丸で囲ったところに取り付けられている大型の滑車から真下に引き下ろしていました。真下より若干戻る方向に引っ張っていました。写真をクリックすると拡大するので、下に降りている送電線が判ると思います。
クリックすると拡大

先ずは、動画を見てもらうと作業内容がわかると思います。地上にも大型の滑車が取り付けられています。


こちらが鉄塔に取り付けられている大型の滑車(クローラー金車)です。前日暗かったのですが接続部分が滑車(クローラー金車)を通過するところの動画も撮れました。→ポチッ


写真でも紹介していきます。鉄塔に取り付けられた大型滑車(クローラー金車)です。大型滑車(クローラー金車)が2個取り付けられています。
クリックすると拡大

こちらが地上の大型滑車(クローラー金車)です。人と比べると大きさが判ると思います。
クリックすると拡大

これは巻取り用のドラムではなく送電線の牽引機(延線機)のようです。新しい送電線をを送出すところに設置されていた牽引機と同じタイプで、やはり送電線が4回巻き付けられていました。送り出すところの牽引機(延線機)との間で引き合いながら移動していくようです。この牽引機の後ろに小さな巻取りドラムがあります。
クリックすると拡大

クリックすると拡大上の写真では送電線が牽引機(延線機)のドラムに4回巻き付けられているのが分かりにくいので、写真を拡大いたしました。房総線が出来た1966年の当初から使われていたとしたら50年以上経過していることになります。右の写真の新しい送電線と比べると色の違いが明らかです。
クリックすると拡大

これが古い送電線の巻取りドラムです。
作業スペースが小さいのでドラムも小さいのだと思います。巻き取った古い送電線をトラックに載せているところです。
クリックすると拡大

古い送電線を巻き取ってトラックに乗せるまでの写真です。




24鉄塔( )~32鉄塔( )間
送電線用鉄塔には大別して耐張型鉄塔と懸垂型鉄塔があります。 耐張型鉄塔は電線の張力を鉄塔で受けるために、碍子(ガイシ)が水平に取り付けられています。一方、懸垂型鉄塔は重力と風の水平力を鉄塔で受けるタイプで、碍子はV型に取り付けられて送電線を吊り下げています。この2種類の鉄塔で、交換する送電線を移動させる滑車の取付方が違ってきます。耐張型鉄塔が使われるのは水平および垂直方向で方向転換がある場合に使われます。送電線が水平で鉄塔が一直線に並んでいる時に懸垂型鉄塔を使うことが出来ます。25鉄塔と30鉄塔と31鉄塔は前後の鉄塔と直線で並んでいるけれども高低差が大きいので耐張型鉄塔が使われていると想像しております。両方の写真とも左側の3段が新しくなり、右側が古いままの時に撮った写真です。2016年に建替えられた30鉄塔と31鉄塔は建替え前は懸垂型鉄塔でした。
 耐張型鉄塔 24鉄塔 25鉄塔 28鉄塔 30鉄塔 31鉄塔 32鉄塔
 懸垂型鉄塔 26鉄塔 27鉄塔 29鉄塔
耐張型鉄塔(水平碍子)        懸垂型鉄塔(V型碍子)
クリックすると拡大 クリックすると拡大

クリックすると拡大今回の送電線は50万ボルトの電圧が使われていることから4本の送電線を正方形に配置した4導体送電線です。4本なのに2本づつ交換するのは4本の内2本で吊り上げてやらないと垂れてしまうからです。特に鉄塔間のスパンは一定ではないため3770mをフリーにしてしまうとスパンが長いところは特に大きく垂れてしまうと思われます。今回は400mmレンズで動画も撮ったので右の写真のように三脚も使いました。


これが交換する送電線を吊り下げる金具です。真ん中にロープが取り付けられているのは交換が終わったときりこの金具を鉄塔から手繰り寄せて回収するためです。このロープのおかげで回収のために人が送電線を渡らなくてもいいのです。ただし設置は人が行うと思われます。


上の動画は画面を拡大しないと送電線が動いていることが分かりにくいと思います。この動画には接続部分が写っているのでわかると思います。


吊り下げ金具を鉄塔から手繰り寄せている動画です。



懸垂型鉄塔(V型碍子) の部分の送電線交換の仕組みを紹介します。
クリックすると拡大

滑車は4個取り付けられます。碍子がV型であることがよく分かってもらえると思います。送電線の工具である今回の滑車は「金車」と呼ばれています。金車の詳しい説明はこちらにありました。→ポチッ
クリックすると拡大

その4個の滑車(金車)の部分を拡大いたしました。
クリックすると拡大

滑車(金車)は4個ですが、2個づつ動きます。この動画では外側の2個が動いていますが、別の時は内側の2個が動きます。



耐張型鉄塔(碍子が水平)の部分の送電線交換の仕組みを紹介します。写真は左側のみ新しい送電線に交換した時点で撮ったものです。
水平に取り付けられた碍子の前後からぶら下っている線が、ジャンパ線です、左側が新しく交換されたパイプ式プレハブジャンパで、右側が従来のジャンパ線です。今回の工事で碍子のも新しいタイプに交換されます。左側が碍子が2列並んだⅡ吊型碍子です。右側が交換前の碍子が3列並んだⅢ吊型碍子です。碍子の強度が上がったので2本で耐えられるようになったか、設計荷重の見直しが行われたかどちらかだと思います。
クリックすると拡大

耐張型鉄塔では滑車(金車)は2個取り付けられます。ここに2本の送電線が通されます。残りの2本は碍子に固定されるので滑車(金車)は4個必要ありません。最初の2本の送電線が新しくなると入れ替えます。古い送電線を滑車に通して、新しい送電線は碍子に固定します。
クリックすると拡大

動画を見てもらうとわかってもらえると思います。この動画には人が写っているので大きさもわかると思います。


別の時に撮った動画です。



32鉄塔( )あたりから見た31鉄塔、30鉄塔、29鉄塔、28鉄塔です。左側の送電線の真下から写真を撮ってみると、鉄塔と送電線の接点が一直線に並んでいることから、鉄塔も直線上に並んでいることが分かってもらえると思います。右側の一番下が交換中の送電線です。
クリックすると拡大2017年3月9日午前の写真です。昼までに交換が終了いたしました。鉄塔群と建物間に小さく見える鉄塔は、実はこのあたりで一番高い27鉄塔で、高さは121mあります。建物か林の陰に26鉄塔があるものと思われます。
クリックすると拡大

上の写真を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。交換中(右側の最下段)の送電線がよくわかると思います。
クリックすると拡大

30鉄塔と31鉄塔は2016年に建替えられたことを上で記載させてもらいました。両方ともに高くなりましたが、特に31鉄塔は差(64m→約100m)が大きいです。建替え前(左)と建替え後(右)を紹介します。鉄塔は両方ともに手前から31鉄塔、30鉄塔、29鉄塔です。建替え前の写真はネットから転用させていただきました。建替え後の鉄塔の高さは目測です。建替え方法は、両方ともに右側(東側)に仮設の鉄塔を建てて、元の場所に今の鉄塔を建てましたが、送電線の取替工事と同時進行の時期があったかめか(?)、複雑な建替えをしていました。右側の現在の写真をクリックして拡大すると、30鉄塔に関しては解体中の仮設の鉄塔の一部が残っていることが分かってもらえると思います。
 建替え前(左) シルバー塗装 懸垂型鉄塔(V型碍子) 高さ:75m/64m
 建替え後(右) 赤白塗装   耐張型鉄塔(水平碍子) 高さ:約100m
クリックすると拡大クリックすると拡大

さらに驚いたことに30鉄塔と31鉄塔の内側には古い鉄塔が入っています。アーム部分のみ解体して塔の部分は残したものと思われます。クリックするとトップまでが写った写真を表示します。
クリックすると拡大

本鉄塔は今回の送電線取替工事の最も南側の32鉄塔です。
この鉄塔の碍子に注目してください。6ケ所ともに奥側(北側)が新しく交換された2列のⅡ吊型碍子で手前側(南側)が古いままの3列のⅢ吊型碍子であることが分かってもらえると思います。つまり32鉄塔より南側はまだ6ケ所とも古いままなのです。当然ですが、送電線も古いままと思われることから、今後に工事が行われると推測されます。
クリックすると拡大

これが、32鉄塔より南側の送電線です。1番左側の鉄塔が32鉄塔で、そこから右に33鉄塔、34鉄塔、35鉄塔、36鉄塔、37鉄塔、38鉄塔、39鉄塔、40鉄塔、41鉄塔、42鉄塔、43鉄塔までみることが出来ます。つまり12基の鉄塔が見ることが出来る場所でもあります。32鉄塔から43鉄塔までの距離は4.28kmです。撮ったのは2017年3月7日の早朝(7時17分)で曇っていたため、晴れた日に撮りなおして写真を差し替えるつもりです。
クリックすると拡大
  • 2017-03-25 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

2017年の青菅の「どんどれえ」 子供たちが沢山参加していました。

オリジナル記事 → ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると動画を表示
千葉県佐倉市青菅地区には何度か紹介しているように1月14日におこなわれる「どんどれえ」と呼ばれている江戸の初期から続く「どんど焼き」ですがが残っています。この「どんどれえ」を知ったのは2012年の「どんどれえ」が行われた後でした。2013年からは、2015年以外は毎年見に行っていました。そして今年は「どんどれえ」を作る作業である「竹立て」を初めて見学させてもらいました。竹立てが行われたのは2017年1月8日(日曜日)でした。すでに「竹立て」に関しては紹介させていただきました。本記事では2017年1月14日に行われた本番の「どんどれえ」の紹介をさせていただきます。
竹立ての記事はこちらです。 → ポチッ

こちらが2017年1月8日の「竹立て」で作られた「どんどれえ」です。この写真は「竹立て」が行われた翌日に撮りに行ったものです。9本の竹が立てられています。上の写真は9本目を立てている瞬間の写真です。
クリックすると拡大

「どんどれえ」の点火は1月14日の18時に行われるため17時43分に「どんどれえ広場」に到着いたしました。すでに周囲はカメラのセンサーが反応しないほど真暗闇でした。右の写真は露出調整したものです。1月14日は小正月(こしょうがつ)の前日で、日本各地では下記の年中行事が行われます。
クリックすると拡大 1月14日の年中行事
 左義長・どんと祭 どんど焼きを行う日
 十四日年越し   小正月(1月15日)の前日にあたる
 飾納・松納    正月飾りや門松を取り外す日
クリックすると拡大

今回は土曜日だったこともあり車が近くの道路には沢山駐車していました。近くの小学校の近くの駐車場にも車が停められていました。私が見学に来はじめてから一番多い気がしました。今まで土曜日と日曜日は無かったのです。ただし来年は日曜日です。
 2013年1月14日 月曜日 大雪の中のどんどれえ
 2014年1月14日 火曜日 どんどれえの様子を詳しく紹介
 2015年1月14日 水曜日 初めて餅を焼きました。
 2016年1月14日 木曜日 見に行けませんでした。
 2017年1月14日 土曜日 子供たちが沢山参加していました。 
 2018年1月14日 日曜日 来年の「どんどれえ」
 2019年:月曜日 2020年:火曜日 2021年:木曜日 2022年:金曜日
 2023年:土曜日 2024年:日曜日 2025年:火曜日 2026年:水曜日
 2027年:木曜日 2028年:金曜日 2029年:日曜日 2030年:月曜日


耐火服を着た人や消防団の消防車も横に控えていました。
クリックすると拡大

すでに正月飾りなどが置かれていました。
クリックすると拡大

こちらで1人に1個、お餅が配られました。餅焼き用の竹も用意されていました。
クリックすると拡大

18時になると点火です。
クリックすると拡大

小学生と大人の2名が、たいまつ(松明)で点火しました。
クリックすると拡大

すぐに火が大きくなりました。
クリックすると拡大

この時は皆さんは比較的近くで見ていますが火が大きくなってくると熱いので遠くにはなります。餅を先端に付けた竹を皆さんもっています。
クリックすると拡大

反対側にも点火いたしました。
クリックすると拡大

火が大きくなるにつれて見学の輪が広がっていきます。
クリックすると拡大

火が積み上げられた雑木の上の部分まで上がりました。
クリックすると拡大

見学のわが広がっ来たのが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

少し離れて撮りました。火の粉が高く上がっているのが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

動画でも紹介します。点火すると一気に火が大きくなりました。 最後のころは仕込んだ竹が爆発する音も聞くことが出来ます。


見学の人の数も私の経験の中で一番多かったです。
クリックすると拡大

遠くからの動画を紹介します。竹の割れるが続きます。


クリックすると拡大ここで竹が倒れました。
中央の竹の「ドウシンボク」の倒れた方角で一年の豊凶を占います。青菅側(南側)に倒れると青菅が豊作、先崎側(北側) に倒れると先崎が豊作と言われています。今回は南側に倒れたので今年は青菅が豊作です。暗くて分かりにくいけれども左下に葉のついた竹が倒れています。倒れる前に、竹の先端の葉の部分に火が移ると右の写真(2015年1月14日撮影)のように炎が高く上がります。今回は火が先端に移る前に倒れてしまったために右のような写真は撮れませんでしたが、それでもすごい迫力でした。
クリックすると拡大

炎はさらに大きくなりました。
クリックすると拡大

下の部分も燃え上がっています。
クリックすると拡大

完全に炎に包まれるときもありました。
クリックすると拡大

9本の竹が倒れた直後からの動画です。


竹が倒れてしばらくすると餅を焼く人が、餅を先端に刺した長い竹や木で餅を焼き始めますが、かなり輻射熱が強烈なので、まだ大人の男性の一部だけです。すごく長い竹が用意されていた理由が判りました。
クリックすると拡大

私も焼いてみました。手前から炎に向かって竹が延びているのが判ると思います。これが私の竹です。焼けたと思ったらすぐに離れました。
クリックすると拡大

焼けた私のお餅です。餅は先端の方が燃えました。どうやら前からの輻射熱が強烈なようで来年からは餅の刺す方向を変えてみます。竹は他の人に渡して撮影に専念いたしました。
クリックすると拡大

フラッシュを使うと餅がよく見えます。こちらの刺し方の方が片面ですが、餅全体が焼けそうです。
クリックすると拡大

フラッシュなしです。
クリックすると拡大

かなり熱いので焼けたらすぐに後ろに下がります。
クリックすると拡大

動画でも餅焼を紹介します。中盤から餅焼きが始まります。


まだまだ火は強いです。
クリックすると拡大

ワンちゃんも見に来ていました。
クリックすると拡大

少し離れててみました。
クリックすると拡大

さらに離れた景観です沢山の人が見学に来られているのが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

さらに遠くからの景色です。
クリックすると拡大

土曜日だったこともあり沢山の子供たちが来ていました。子供たちが近づけるほどの日の勢いになって来たようです。ここから子供たちを中心にほほえましい「どんどれえ」を紹介したいと思います。
クリックすると拡大

こちにも家族で餅焼きです。
クリックすると拡大

火が弱くなってきたと言えどもまだまだ火の勢いはありました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大どんどれえの火で焼いたお餅を食べると一年間風邪をひかないそうです。こちらの女性も2人の娘さんのお母さんで、この後、右の写真のように3人で一緒に餅を焼いていました。右の写真は小さいけれどもクリックすると大きく拡大します。
実はこのお餅の焼き方は正式なやり方なのです。
クリックすると拡大

二股に分かれた栗の枝の先にお餅を刺して焼くのが正式のやり方だそうです。
クリックすると拡大

この時の炎の具合です。
クリックすると拡大

兄弟での餅焼きの記念写真もいい思い出になると思います。


驚くほど沢山の子供たちが見に来ていました。
クリックすると拡大

子供4人でお餅を焼いています。思い出になると思います。
クリックすると拡大

動画でも紹介します。今までに見に来た中で子供たちが一番多かったです。動画はインタビューの光景から始まります。


インタビューの光景です。取材をしているのは地元のテレビ局のケーブルネット296で、近いうちにこの「どんどれえ」が放送されると思います。
クリックすると拡大

こちらの子が、たいまつ(松明)で「どんどれえ」に点火しました。
クリックすると拡大

火が少し収まってきました。門松の「燃えちゃれ(=燃えさし)」を持ち帰り、門口にさすと、「盗難除け」「魔除け」になると言われます。
クリックすると拡大

弱まったと言えどもまだ火の勢いはありました。
クリックすると拡大

ほとんどの見学の人は帰られて、残っている人は僅かです。
クリックすると拡大

私が離れる時の火の状態です。見学の人はいなくなって、火が燃え尽きるまで見守の人だけが残っていました。
クリックすると拡大

家に帰ってさっそくお餅をいただきました。元々が柔らかいので、そのまま美味しくいただきました。偶然ですが、配られるお餅は私の知り合いの方が当日についたものです。その方にどんどれえ塚の前で会ってもう一ついただきました。そちらは家で焼餅にして醤油と海苔をつけて食べました。やっぱりつきたて美味しかったです。
クリックすると拡大

青菅どんどれえ塚の位置をGoogle地図で紹介します。近くの道に車を停めることは可能ですが、土曜日曜など混むときは下記の地図の駐車可能場所( )と記載した場所(広い空地)に車を停めることをお薦めします。
駐車可能場所( )からどんどれえ塚( )までは420mです。
 どんどれえ塚         千葉県佐倉市青菅69-2
 ユーカリゴルフプラザ駐車場  千葉県佐倉市先崎233
 駐車可能場所         千葉県佐倉市宮ノ台1丁目18-2
 ━━ ユーカリが丘線中学校駅からの徒歩ルート 1400m
 ━━ ユーカリゴルフプラザからの徒歩ルート   740m


追伸
2017年1月22日は私の誕生日でした。JALとANAとBIGLOBEと任天堂さんからメールが届いて気が付きました。個人からメールが来ないのはちょっと寂しいですね。ただし神戸での飲み会のメールが2つ届きました。実は2月3日から10日まで関西です。下の写真はBIGLOBEさんからプレゼントされた壁紙です。オリジナルサイズは1920x1080ですが480x270に縮小して紹介しています。
クリックすると拡大
クリックすると拡大
 
クリックすると拡大 クリックすると拡大
こちらはANAさん
クリックすると拡大 クリックすると拡大
こちらはJALさん
クリックすると拡大 クリックすると拡大 クリックすると拡大
こちらは任天堂さん
クリックすると拡大
  • 2017-01-24 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 5
Pagetop

あけましておめでとうございます。2016年 元旦 六甲山の行者山

オリジナル記事→ポチッ
2016年の年賀状

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。

So-netブログをはじめて今回の正月は7回目になります。2009年5月5日に最初の記事を掲載して6年8ケ月(80ケ月)が経ちました。沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。

2016年元旦

今年の新年最初の記事としては、宝塚の実家近くの行者山(ぎょうじゃやま)を紹介したいと思います。上の写真は、実家近くから撮った行者山です。写真の中央の高い山が行者山です。行者山は六甲山系の山の中の一つで東の端に位置します。
クリックすると拡大

生まれてから11ケ所( )に住んだことがあります。2015年12月23日から12月30日まで母と犬が住んでいる宝塚市逆瀬川にある実家に帰省していました。その実家は六甲山の東側にあり、学生時代から関東に引っ越すまでの間は、よく六甲山を歩きまわっていましたが、不思議なことに実家に一番近い行者山には登ったことがなかったのです。今回、2015年12月28日に、その行者山に初めて登ってみました。
    0歳 兵庫県伊丹市に生まれる
    1歳 兵庫県西宮市夙川に引越
    2歳 広島県広島市平野町に引越
    3歳 広島県広島市井口に引越 → 記事
   10歳 兵庫県神戸市東灘区岡本に引越
   14歳 兵庫県神戸市東灘区本山に引越
   16歳 兵庫県宝塚市に引越 今の実家の場所
 1988年 千葉県船橋市に引越
 1993年 千葉県佐倉市に引越
      大阪府茨木市と神戸市須磨区にも住んでいたことがあります。


クリックすると拡大実家から逆瀬川の支流となる白瀬川の横を歩きました。今は大きな住宅地になっていますが、私の学生時代は山林で実家の犬(ジョン)と走り回っていた場所でした。
今はありませんが、犬が泳いだ池もありました。
クリックすると拡大

川沿いの太い道が途切れました。川の右側の黒い車の奥に道がありそうなのでそちらに進んでみることにいたしました。
クリックすると拡大

こちらが車の奥の部分を拡大した写真です。
クリックすると拡大

やはり細い道がありました。この辺りはワンコの散歩道になっているようでした。
クリックすると拡大

進んでいくとハイキングコースの大きな案内板がありました。実は、実家を出るときから行者山に登るつもりではなく、この案内板を見るまでは甲山の方に登り、仁川駅に出るつもりでした。この案内板を見て、とりあえずは行者山東観峰に登ってみることにいたしました。
クリックすると拡大

結果的には3秒間隔で点滅させている太い赤いラインを歩きました。親切なことに黒い丸の部分に、その場所の現在位置を書いた地図付きの案内板がありました。歩いたルートの地図付きの案内板の写真も順番に紹介したいと思います。地図内の現在地と書かれているところに、この案内板がありました。


最初は、ゆずり葉散策路と名付けられた道を歩きました。
クリックすると拡大

不思議なことに大きな南天の木が生えていました。南天の木は庭木だと思っていたので不思議に思ったわれです。考えてみるに人家が全くなかった学生時代にも、この辺りで南天の木を見た記憶がありました。元々は渡来した栽培種の実を鳥などが運んで野生化したものと考えられているようです。
クリックすると拡大

道を歩きやすいように、石が組まれているのに驚きました。きっとボランティアの人が整備してくれたと思うのですが大変な作業だったと思います。
クリックすると拡大

六甲山でよく見かけるシダが生えている小道になってきました。
クリックすると拡大

登りきったところに行先を示す標識がありました。東観峰・行者山と書かれた方向に進みました。


まさに雑木林の中を進む感じでした。ところどころにイノシシなのか掘り返した後もありました。
クリックすると拡大

このような大谷と書かれた石の標識が小道の真ん中に埋められていたので、後で調べるつもりで写真に納めました。


このように階段のように整備された小道もありました。ここの左側には砂防ダムがありました。
クリックすると拡大

よく見ると、単なる板ではなく滑り止めが付けられた板が使われていました。ここにも整備に力が入っていることが伝わってきました。
クリックすると拡大

最初の現在地を示す地図付き案内板です。ここからは東観峰までは概ね山の尾根伝いに登っていきます。
クリックすると拡大

山の尾根なので道の両側が険しい崖のところもありました。
クリックすると拡大

危険な部分には虎テープが張られている上に、きつい登りの部分にはロープが設置されていました。道の右側のロープが判るでしょうか。このロープを使って登りました。
クリックすると拡大

雑木が多く枯葉で道が判りにくいところには標識も建てられていました。
クリックすると拡大

石が動かないように鉄杭も打ち込まれていました。これなら安心して石を使って踏ん張れます。
クリックすると拡大

急なところはロープだけではなく梯子も設置されていました。これには驚かされました。見た目よりは急阪で確かに梯子が無かったら大変だと思いました。
クリックすると拡大

少し見晴らしがいいところに出たので六甲山の山頂方向(西方向)の写真を撮りました。まだ東方向の眺望は見れませんでした。
クリックすると拡大

また梯子とロープが設置されていました。
クリックすると拡大

甲山が見える場所に出ました。左の丸い山が甲山です。甲山は火山の痕跡である山で、1200万年前に噴火したとされています。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩からなる六甲山とは違う形成過程であると考えられています。
クリックすると拡大

上の写真を撮った場所の写真付き案内板です。
クリックすると拡大

こんな感じで写真付き案内板が立てられていました。
クリックすると拡大

さらに尾根伝いに小道を進みます。
クリックすると拡大

開けた場所に出ました。甲山をバックに現在地を示す地図付き案内板が立てられています。
クリックすると拡大

こちらが案内板の地図です。今まで出てきた案内板は上が北でしたが、この地図は上が南です。つまり案内板の地図は立てられている方向や見る方向によって地図を変えているのです。心憎い配慮です。
クリックすると拡大

宝塚南口の高層マンション群です。宝塚歌劇の大劇場も写っています。
クリックすると拡大

宝塚歌劇の大劇場をズームアップいたしました。正式名「宝塚大劇場」は1992年完成で毎年100万人以上の観客を動員しているそうです。
クリックすると拡大

上の写真はズームしたものでね目で見た感じはの写真を紹介します。この写真はクリックすると特別に大きく表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大

少し東方向です。逆瀬川駅や実家があるあたりも写っています。
クリックすると拡大

行者山東観峰に着きました。
クリックすると拡大

ここには登頂記念箱が設置されていました。


このノートに記念の言葉を書くのです。


行者山東観峰に設置されていた現在地わ示す地図付き案内板です。
クリックすると拡大

行者山東観峰からの宝塚駅および宝塚南口方向の眺望です。
クリックすると拡大

大阪方向の眺望です。
クリックすると拡大

ここには基準点が設置されていました。
クリックすると拡大

2級基準点で西宮土木事務所が設置したようです。ネットで調べた標高は361.18mでした。


行者山東観峰からは一旦は西方向に下ってから行者山に登ります。
クリックすると拡大

目の前の小高い山が行者山(415m)なので標高差は99mです。
クリックすると拡大

東観峰から行者山に向かいました。
クリックすると拡大

行者山の少し手前にも地図付き案内板が設置されていました。名前は行者山東展望台(400m)です。
クリックすると拡大

これが地図です。現在地が判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

行者山東展望台から見た甲山です。池は西宮カントリー倶楽部(ゴルフ場)内にある深谷貯水池です。リゾートホテルのような建物は、阪急逆瀬台マンション・アヴェルデの1番館~5番館だと思います。
この建物の中に、以前に紹介した出石そばのそば義があります。
クリックすると拡大

こちらにも基準点が設置されていました。


行者山東展望台から見た東観峰です。
クリックすると拡大

行者山東展望台と行者山を結ぶ道です。距離はわずかです。
クリックすると拡大

行者山に着きました。標高は415mです。このあたりの最高峰です。
クリックすると拡大

こちらが現在地の地図です。
クリックすると拡大

ただし周囲が木でおおわれているため景色が見えません。だから行者山東展望台があるのだと感じました。


行者山を離れました。
クリックすると拡大

下り始めました。
クリックすると拡大

下っていく途中に不思議な石の配置がありました。
クリックすると拡大

枯葉をどけてみると基準点でした。
クリックすると拡大

こちらの基準点は兵庫県の3級基準点でした。


六甲山から降りてくる道に出ました。分岐点に例の案内板が立っています。
クリックすると拡大

奥の方から降りてきました。
クリックすると拡大

現在地を示している地図です。こちらは上が南です。
クリックすると拡大

こちらが六甲山の方向です。
クリックすると拡大

こちらが光ガ丘の方向です。こちらの方向に降りていきました。ここが支多々川の源流です。道そのものが川なのです。
クリックすると拡大

水は流れていませんが、湿っており苔などの胞子植物が沢山生えていました。
クリックすると拡大

シダ植物も多かったです。
クリックすると拡大

大雨の時は、ここを水が流れるのだと思います。
クリックすると拡大

ここで川と別れました。左に川が下っていき、道は右に進みます。
クリックすると拡大

道の部分です。
クリックすると拡大

東観峰からの道に合流いたしました。
クリックすると拡大

もうすぐ光ガ丘口です。
クリックすると拡大

尾根を進んだ後に、また支多々川に出てきました。見えているのは砂防ダムです。
クリックすると拡大

水が流れているのが判ると思います。
クリックすると拡大

もうすぐ住宅地です。
クリックすると拡大

写した中の最後の案内板です。
クリックすると拡大

そして、これが案内板の地図です。
クリックすると拡大

道路が見えてきました。
クリックすると拡大

住宅地に見えてきました。川は支多々川です。実家の近くまで流れていきます。
クリックすると拡大

昔からの町並みを流れる支多々川です。
クリックすると拡大

この先は武庫川につながっています。
クリックすると拡大

実家の近くまで戻ってきました。正面が行者山で、その左が行者山東観峰です。
クリックすると拡大

歩いた全コースを紹介します。ただし実家の正確な位置が特定されないように実家の近くだけルートを少しずらしております。ちなみに六甲山最高峰は931.25mで、甲山は309.2mです。
 ━━ 歩いたハイキングコース
 ━━ 住宅地内を歩いたコース
   西逆瀬台口
   316m 行者山東観峰
   400m 行者山東展望台
   415m 行者山
   光ガ丘口
  • 2016-01-01 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

養老渓谷 中瀬遊歩道

オリジナル記事→ポチッ

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の写真は養老渓谷の中瀬遊歩道の中で最も有名な場所です。2015年11月28日の朝の散歩で中瀬遊歩道を歩いたので養老渓谷の中瀬遊歩道を紹介したいとクリックすると拡大思います。
ここに来るきっかけは、養老温泉の宿泊が入ったゴルフパックで前日の11月27日に千葉夷隅ゴルフクラブで11名でプレーして、養老温泉の嵯峨和に泊まりました。7時30分からの皆での朝食の前に中瀬遊歩道を歩きました。

中瀬遊歩道のルートをGoogle地図にプロットしました。
遊歩道は川に並べられた飛び石(渡石)で養老川を3回ほど渡るので、往復で6回ほど渡ることになります。
朝6時44分に右の写真の嵯峨和を出発して中瀬遊歩道を往復して戻ってきたのが7時29分で、みんなで食べる7時30分からの朝食に間に合いました。泊まった旅館の嵯峨和は黒い色をした黒湯の温泉と、しし鍋が有名でした。
クリックすると拡大  ━━ 1.2km 中瀬遊歩道
  ━━ 0.2km 嵯峨和~中瀬遊歩道
  ━━ 7.0km 嵯峨和~ゴルフ場
  ━━ 川を渡る飛び石 3ケ所
   養老温泉 嵯峨和 (さがわ)
   弘文洞 (こうぶんどう)


それでは順番に紹介したいと思います。出発地点の中瀬遊歩道入口です。
クリックすると拡大

小道を進んでいくと養老川に出ます。
クリックすると拡大

養老川に出たところからの下流方向の景色です。出世観音で有名な立國寺に行く赤い観音橋が見えます。
クリックすると拡大

同じ場所から上流側を撮った写真です。ここから上流に向かって歩きます。
クリックすると拡大

飛び石(渡石)で川を渡ります。
クリックすると拡大

飛び石(渡石)から上流側を見た景色です。水面には靄がかかっており静かな雰囲気が伝わってきました。
クリックすると拡大

飛び石で川を渡って振り返った景観です。
朝早かったので中瀬遊歩道であった人はここに写っている4人+1匹だけでした。私は往復歩いたので手前の2人には2度出会いました。


この日は一番の冷え込みのため外気より水の方が温度が高いようで、空気の流れが少ないところは湯気で水面が覆われていました。
クリックすると拡大

川沿を少し進むと中瀬キャンプ場があり、バーベキューを楽しむ施設がありました。煙が上がっており、すでに火を熾して食事の準備をしているようでした。
クリックすると拡大

少し高い位置を歩きました。
クリックすると拡大

紅葉も進んでいました。もう少ししたらさらにきれいな紅葉を見せてくれる雰囲気でした。養老渓谷は日本一遅い紅葉が楽しめる場所と言われています。
クリックすると拡大

川底は固い岩盤で出来ていて、岩盤の形により所々で川面が波立っていました。
クリックすると拡大

川を渡る2番目の飛び石の場所につきました。川は大きく曲がっており独特の雰囲気を出してくれていました。
クリックすると拡大

飛び石の上から上流側を撮りました。千葉県はほとんどが平坦地のため渓谷がある景色は珍しい場所なのです。そんな意味で養老渓谷は基地ような存在です。
クリックすると拡大

同じ場所から動画も撮りました。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。渓流の水の音を聞いてもらえると思います。


飛び石を渡り切った位置から下流側を取りました。
クリックすると拡大

岩盤の脇の小道を進みます。
クリックすると拡大

これが養老渓谷の特徴的な岩盤の川底です。このような川底が続いていました。今回の写真は明るく撮れているように見えますが、実際には早朝なのでかなり暗いのです。飛んでいる白い鳥が2羽写っているのですがシャッタースピードが長いためにボケたように映っています。明るい時間帯だとどの写真も鮮明で鮮やかだったと思います。
クリックすると拡大

養老渓谷を代表する景勝地である弘文洞(あるいは弘文洞跡)に到着いたしました。養老川は右から左に流れています。その養老川に対して奥から水が流れ込んでくる景観なのです。昔からの景観のように思えますが、大昔の正面は岩の絶壁で塞がれていたのです。
クリックすると拡大

遊歩道に弘文洞の説明板(案内板)が立てられていました。
弘文洞は江戸時代に蛇行する養老川と、岩山を隔てて流れる夕木川(別名:蕪来川)とを、耕地開拓目的でつなぐ為に、岩山に、川の隊道(トンネル)を作ったものです。隧道が造られた頃は、人の背丈程度でしたが、天井部分が崩落し次第に大きな洞となったそうです。その隊道は1979年5月24日突如上部が崩落し、現在の景観になったわけでが、崩落しても独特の景観があり養老渓谷を代表する景勝地となっているわけです。崩落したことから弘文洞は弘文洞跡と呼ばれるようになったわけです。現在の景観からも大規模な工事であったことが想像できます。弘文洞が造られた正確な年代が気になりますが、ネットで検索しても造られた時期としは、約140年前と江戸時代と、稀に江戸時代末期の、3種類の記述があるだけです。さらに2015年においては江戸時代(412年前~147年前)と、約140年前は矛盾することになっています。
クリックすると拡大下記の説明版がネット上で出てくる最も古い記事が右の写真の2004年11月です。それでも数年が経過したように見えることから現在の説明板は立てられてから15年程度が経過した考えられます。約15年前に立てられた説明坂に「おゝよそ140年前」に弘文洞が造られたと記載されていることから、弘文洞は今から約155年前に造られたことになります。江戸時代は1868年までなので少なくとも147年前以上ということになるので、控えめに言うとして約150年前(1865年前後)あるいは江戸末期に造られたと表現するのが妥当そうです。
右の写真はネットから転用させていただいた崩落前の写真です。夕木川は隧道でつながる前も養老川の支流でした。39代弘文天皇である弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名されたと伝えられています。江戸期には蛇行している河川の上流と下流が近接する所にトンネルや切り通しを作って、つなぎぐことはよく行われて、「川廻し」と呼ばれていました。「川廻し」によって干上がった河床を農地に利用するのが目的だったそうです。
クリックすると拡大
文字がかすれてきているので、説明坂の記載内容を枠内に転記いたします。
弘文洞跡
今から、おゝよそ一四〇年前、耕地を開拓するため、養老川の支流 蕪来川を川まわしして造った隧道で葛藤の穴洞と呼ばれておりました。
弘文帝と、十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として、世に紹介されましたが、昭和五十四年(一九七九)五月二十四日未明、一大音響とともに崩壊し現在にいたっております。
養老渓谷観光協会
蕪来川 : かぶらきかわ  葛藤 : くずふじ

遊歩道は少し高いところを通っているので川面まで下りて写真を撮りました。こちらが冒頭の写真だったわけです。
クリックすると拡大

同じ場所から養老川の上流側を撮りました。
クリックすると拡大

同じく、下流側を撮りました。
クリックすると拡大

夕木川(別名:蕪来川)の方をズームいたしました。
クリックすると拡大

泊まって旅館・嵯峨和に弘文洞の崩落前の写真が2枚飾られていたので写真を撮らせていただきました。クリックすると拡大写真を表示します。
 左の写真は養老川の方から撮った弘文洞です。
 右の写真は夕木川(別名:蕪来川)の方から撮った弘文洞と思われます。
クリックすると拡大クリックすると拡大

弘文洞のあたりの航空写真も紹介いたします。左下方向が夕木川です。


さらに遊歩道が上流側に続きます。
クリックすると拡大

弘文洞跡を離れて中瀬遊歩道を進むと3番目の、川を渡る飛び石に着きました。
クリックすると拡大

飛び石を渡って川の右岸を進みます。静かなきれいな景観が続きました。写真は撮れませんでしたが、カワセミも見かけました。
クリックすると拡大

遊歩道終点となる赤い共栄橋が見えてきました。
クリックすると拡大

ここが中瀬遊歩道終着地点です。橋の右側に1970年に造られた趣のある共栄トンネルがあります。
クリックすると拡大

その趣のあるトンネルの名前は共栄トンネルですが、このトンネルがちょっと変わったトンネルであることを、家に帰ってからネットで知りました。下の写真のように、外からは普通のトンネルに見えたのですが、中から見ると右の写真のように2階建てになっているのです。出入口以外のトンネルは岩盤のままであることから、このあたりの山は岩盤で出来ていることが右の写真からも分かると思います。
下側部分(新隧道)は、後から作ったものと思われます。行く機会があったときは是非とも見てみてください。内部からの写真は大多喜町のホームページから転用させてもらいました。元々は92mの向山トンネルでしたが西口の位置を低くしてカーブさせながら延長したことから、現在の形になったようです。現在でもトンネルの東側の大半には向山トンネルと名前がつけられています。
詳しい構造と説明がネットにありました。→ポチッ
クリックすると拡大

共栄橋の上からの上流側の養老川です。建物は温泉旅館「川の家」です。我々が泊まった旅館と同様に「黒湯」を特徴とした泉質の温泉です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大共栄橋の上からの下流側の景色です。川の左側の川沿いの道が、歩いてきた中瀬遊歩道です。この時、7時11分でした。ここから中瀬遊歩道の同じ道を戻って旅館に着いたのが7時29分でした。なんとか7時30分からの皆との朝食に間に合うことが出来ました。
クリックすると拡大

養老渓谷周辺ではいくつかの景勝地があり、ハイキングコースとしては下記の①~③が代表的です。紅葉が特に楽しめるところとしては、滝めぐりコース沿いと、大福山・梅ケ瀬コースのもみじ谷と、筒森もみじ谷があります。そしてほとんどの景勝地が川沿いにあることが分かってもらえると思います。
 ・養老八景
   A 金神の滝  B 栗又の滝  C 水月寺  D 筒森もみじ谷  E 懸崖境
   F 弘文洞跡  G 観音橋・出世観音  H 梅ケ瀬渓谷
 ・ハイキングコース→ポチッ
  ①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース  F   G
  ②滝めぐりコース            A   B   C
  ③大福山・梅ケ瀬コース         H
  青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
  緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
  紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。


●㉑
●㉑
  • 2015-12-12 :
  • 未分類 :
  • コメント : 1 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

70年代のウイスキー

オリジナル記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今、ウイスキー(Whisky)を題材にしたNHKの朝の連続ドラマが放送されているのを機会に我が家に古くから置かれていたウイスキーの写真を撮ってみました。紹介の物はすべて1960年代か1970年代の物です。上の写真のはGLEN GARRYという銘柄で、Finest Scotch Whiskyと書かれているのでランクは高いもののようです。スコッチウイスキーです。今では簡単に手に入るようですが、1970年ころには日本では珍しいもので父が一番気に入っていました。同じ名前の銘柄は手に入りますが、写真のラベルの物は手に入れるのは難しいのではないでしょうか。

フラッシュなしの写真も紹介いいたします。はっきりとした年代は判りませんが約50年前だと思います。ラベルの内容を転記いたしました。
GLEN GARRY
Finest SCOTCH Whisky
100% SCOTCH WHISKIES
DISTILLED AND BOTTLED
IN
SCOTLAND

JOHN HOPKINS & CO LTD
Distillers
GLASGOW , SCOTLAND

AND GLEN ELGIN-GLENLIVET DISTILLERY
LONGMORN , SCOTLAND

DISTILLED AND BOTTLED IN SCOTLAND
UNDER BRITISH GOVERNMENT SUPERVISION
クリックすると拡大

ネット内で出てくるGLEN GARRYの画像です。似たものはありますが、同じものはまだ見つけられていません。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらもスコッチウイスキーです。WHITE HORSE、よく聞いた名前です。これはラベルに書かれているようにブレンデッド・ウイスキーです。モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたもので安定した品質のものを沢山作るのに適しているそうです。
クリックすると拡大

こちらもスコッチウイスキーです。そしてブレンデッド・ウイスキーです。銘柄はAmbassador Royalで12年物です。
クリックすると拡大

左はPinchと書かれているので、こちらもスコッチウイスキーです。右はSUNTORY VERY RARE OLD WHISKY と書かれていることから日本万国博覧会の開催記念のサントリーのオールドです。1969年か1970年にはつばいされたものと思われます。
クリックすると拡大

左はウイスキーではなくブランデーです。右はウイスキーで、銘柄はSANDY MACDONALD です。アレクサンダー・マクドナルド社で作られていたスコッチウィスキーです。アレクサンダー・マクドナルド社とグリーンリース・ブラザーズ社が19世紀に合併し、サンディ・マックとして出来た会社が発売していたものです。ボトル中央に描かれている肖像画は、アレクサンダー・マクドナルド社の創業者で、気さくな人柄だったようで、「サンディ」「マック」などと親しみを込めて呼ばれていたため、その呼称がそのままお酒の銘柄として起用されたそうです。
クリックすると拡大

こちらは中国のお酒で白酒(パイチュウ)の種類に入る茅台酒です。貰い物で、貰った時期は1972年±3年だと思います。貴州茅台酒(KWEICHOW MOU-TAI CHIEW)と書かれています。
クリックすると拡大

茅台酒は貴州省で作られている世界的に有名なお酒で、この茅台酒のアルコール濃度は55%です。クリックすると判ります。
クリックすると拡大

中国のお酒のように見えますが、日本酒です。銘柄は小鼓で原酒のようです。
クリックすると拡大

清酒で一級原酒と書かれています。西山酒造の1974年11月6日製造のものです。
清酒は新し内に飲むものなので41年も経過したものが飲めるものかどうかわかりません。お酢に変化してしまっているかもしれません。同じ醸造酒の中国の紹興酒などは古酒として珍重する場合があります。日本酒ではどうでしょう。
今回の銘柄をネットで調べてみると西山酒造は健在で小鼓という名の大吟醸でロンドン酒チャレンジ金賞、・モンドセレクション3年連続最高金賞、ITQI優秀味覚賞2年連続3ツ星金賞、・ワイングラスでおいしい日本酒アワード最高金賞などの賞をとっていました。


これらが今回紹介のお酒です。
クリックすると拡大

  • 2015-02-14 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

手塚治虫記念館に行ってきました。

オリジナル記事→ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。クリックすると拡大
鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
  筆名  手塚 治虫 ( てづか おさむ )
  本名  手塚 治  ( てづか おさむ )
  生誕 1928年11月03日 現・豊中市
  死没 1989年02月09日 60歳
手塚治虫は生涯に漫画を604作を作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→ 作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
クリックすると拡大

建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
クリックすると拡大

モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
クリックすると拡大

火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
クリックすると拡大

建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
クリックすると拡大

建物に入りました。
クリックすると拡大

最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
クリックすると拡大

貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
クリックすると拡大

1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
クリックすると拡大

G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
クリックすると拡大

この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
クリックすると拡大

アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( ► )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
クリックすると拡大

昔の漫画の単行本の展示棚です。
クリックすると拡大

単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
クリックすると拡大

懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
クリックすると拡大

図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
クリックすると拡大

並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
クリックすると拡大

2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
クリックすると拡大

ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
クリックすると拡大

記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
クリックすると拡大

これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
クリックすると拡大

7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
クリックすると拡大

こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
クリックすると拡大

こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
クリックすると拡大

こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
クリックすると拡大

こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
クリックすると拡大

こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
クリックすると拡大

こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
クリックすると拡大

年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
クリックすると拡大

鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送
  鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日
  鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらは後半の年表です。
クリックすると拡大

1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
クリックすると拡大

Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
  ━ 430m 宝塚南口駅→記念館
  ━ 730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

歌は伊藤武雄→中島そのみ →上高田少年合唱団→伊藤武雄とかわりました。
伊藤武雄の歌はこちら →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
               →http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場 →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。
途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
        初期               中期               後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
クリックするとオリジナルを表示

  • 2014-10-09 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

今回のお土産の目玉はレトルトカレー

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今、中国です。2014年6月23日から懐かしい人たちに会うために上海から車で4時間の場所に来ています。今回のお土産は4種類です。昆布の佃煮と納豆と生ラーメンとレトルトカレーです。生ラーメンとレトルトカレーは今までもお土産の経験がありますが昆布の佃煮と納豆をお土産にするのは初めです。上の昆布の佃煮はフジッコ製の10種類で合計で22個を持ってきました。名前の頭の数値はそれぞれ持ってきた数ですが、数に差があるのは、私の好みで選んだためです。
  4 椎茸こんぶ        4 ちりめん山椒こんぶ  4 わさび昆布    
  2 しじみ生姜こんぶ    2 あさり生姜こんぶ    2 こもち昆布
  1 葉唐こんぶ        1 生姜こんぶ        1 しそ昆布

こちらも、お土産としては初めてとなる納豆です。国産大豆が高騰しているそうですが、沢山の納豆がある中で一番気に入っている「おかめ納豆 国産中粒納豆」を、8パックほど、お土産にいたしました。
クリックすると拡大

生ラーメンは日清の「行列のできる店のラーメン」シリーズにしてみました。5種類の9個です。5種類は、こってり醤油、こってり味噌、和歌山醤油とんこつ、坦々麺、釜炊き豚骨です。
クリックすると拡大

レトルトカレーは下の13種類の15個です。レトルトカレーと言っても平均価格が580円のカレーを集めてみました。一番高いカレーは864円でした。少し舞うまでは500円位するのは数個程度でしたが、高めのレトルトカレーが沢山販売されているのに驚かされました。
 864円 三田屋黒毛和牛カレー
 718円 飛騨牛カレー
 615円 神戸牛カレー
 615円 佐賀牛カレー
 581円 今半 牛すじカレー
 564円 玉ねぎと牛すじのカレー
 512円 ホルモンカレー
 512円 八起庵鶏カレー
 507円 富山ブラックカレー
 481円 丹馬牛ハッシュドビーフ
 481円 黒毛和牛ビーフカレー
 461円 仙台発祥・牛たんカレー
 408円 牛すじカレー
クリックすると拡大
クリックすると拡大
  • 2014-06-29 :
  • 未分類 :
  • コメント : 1 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

最新の動画を追加しました。 我が家のワンコの得意技

2014年3月10日追伸 タイトル: 最新の動画を追加しました。
 

オリジナルSo-net記事 → ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

我が家のワンコ(名前 : ムサシ)は扉を開けることが出来ます。扉を開けるところの動画は、すでに紹介していましたが、すでに3年半が経過していることから、右下の写真の新しいカメラ(Canon Power Shot S120)で、ムサシが扉を開けるところを撮りなおしました。その動画を追加掲載いたしました。動画の前半が手前から扉を引いて開けるところですが、後半は扉の向こう側から扉を開けで入ってくるところをとらえましたので、19秒ですが、どうぞ最後まで見てください。
実は扉を開ける時に我々が、そばに居ると、最初は扉を前足で叩いて我々に開けてくれるようにアピールしますが、無視していると自分で扉を開けます。一連の動きは別画面の方に収録しています。上の動画は督促するところは省略しています。別々に別画面で見たい場合は下記のポチッをクリックしてください。
クリックすると拡大  手前から開ける動画 → ポチッ 24秒
  向側から開ける動画 → ポチッ  9秒
初めて開けられるようになったムサシの年齢です。
  押して開ける    6歳8ケ月
  引いて開ける   8歳4ケ月
  スライド式扉   13歳5ケ月

SDカード新しいカメラは家内の3月4日~7日の海外旅行のために小さくて画像の良いカメラが欲しいということで買いました。
AF(オートフォーカス)は0.1秒だし連写は12.1枚/秒で、AFをしながらの連写(5.5枚/秒)も出来るということで、進歩を感じました。AF連写が出来るので連写中に被写体までの距離が変わってもピントが合うので、ワンコが走ってくるところの連写が撮れそうです。一秒間に約50MB(=4.2MBx12.1枚)の写真を撮ることになるので、SDカードも高速で書き込みが出来るR95・W90MB/Sにいたしました。
3月8日から学生時代のサイクリング部の友達が家に遊びに来ていたので、ワンコの得意技を見てもらいました。下の写真が卒業してすぐのもので、右が2014年3月9日の写真です。どちらの写真も左端が私です。この中の一人は私の結婚式以来、初めて会いました。3月8日は上野の居酒屋で2時間飲んだ後、私の家に来て昔のアルバムなどを見ながら、飲み直しました。


クリックすると拡大友達にスマホで撮ってもらった縦長の動画を送ってもらいました。その友達のFacebookに、この動画が乗せてもらえるそうです。この動画は縦長なのでサイドバーにも使わさせていただきました。右の写真の赤い矢印の3人です。この写真で真中が私で、左がスマホで動画を撮ってくれた人で、右が結婚式以来の人です。



2010年8月21日追伸 タイトル: You Tubeに登録しました。

本日(2010年8月21日)、我が家のワンコのレベルアップ技の動画をYou Tubeに登録しました。動画は前に紹介した2つと同じですが、前よりも大きな画面で見ることが出来ます。


少し苦労する姿の動画です。扉を押す方向に開けられるようになったのは2006年12月で、扉を手前方向ら引いて開けられるようになったのは2008年8月です。今ではスライド式の扉と玄関ドア以外は自由に行き来しています。YouTubeだと動画の形式や容量を気にせずに登録出来るのがいいですね。



2009年8月7日追伸 タイトル:レベルアップ技の動画が撮れました。
ついに扉を手前に引いて開けるところの動画を撮ることが出来たので紹介いたします。画像は、もう一つですが雰囲気は判ってもらえると思います。プレーボタンを押して見てください。少し画像が出るまで時間がかかる場合がありますが、ご了承願います。

もう一つ動画を紹介いたします。少し開け方が小さかったので向こう側に行くのに時間がかかってしまいました。


2009年2月7日追伸 タイトル:レベルアップ技の写真を撮りました。

手前に引いてドア開けるところの写真が撮れたので掲載いたします。押して開ける時より垂直に立って開けています。
これはワンコにとって、なかなか難しい技のように感じます。
クリックすると拡大

開けて向こう側に行くところです。教えていないのに、よく自分で覚えたものです。



2008年8月16日追伸 タイトル:得意技をレベルアップ

8月未明に得意技をレベルアップさせてしまいました。
オリジナルの記事は2007年2月5日でした。そのころはドアは取っ手を回したあと押す側にしか開けられませんでしたが、ついに手前に引く側も開けられるようになってしまいました。これで引き戸のところ以外は家中どこにでも行けてしまいます。困った!


2007年2月5日掲載 タイトル:ついに現場を押さえました。

家のワンコは教えていないのに扉が開けられるようになりました。確か3ケ月前からです。その瞬間の写真をついに撮ることができました。向こう側に開けることしか出来ませんが取っ手を押し下げることを覚えました。家の廊下側からはすべての部屋の扉は向こう側に開くので廊下側にいると、すべての部屋に自力で入れてしまいます。夜のうちに入ってゴミ箱を散らかしたりと、いたずらをするんです。困ったものです。
我々がいると所ではなかなか、しませんでしたが、やっと撮ることが出来ました。
IMG_0590-1200.jpg

下の写真は娘とちょっと遠出の散歩の時の写真です。写真をクリックすると子犬のころの写真を表示します。
誕生日は2000年4月4日です。
クリックすると子犬のころの写真

他の家族も紹介しておきます。左側の写真は実家にいた昔のワンチャンです。右側の写真が今の実家のワンチャンです。
クリックすると別の写真を表示 クリックすると別の写真を表示
  • 2014-03-15 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

大阪でお好み焼き

オリジナル記事 → ポチッ
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
久しぶりに大阪のお好み焼き店「ぼてぢゅう」に入りました。関西に住んでいたころは、お好み焼きを食べに「ぼてぢゅう」によく食べに行きましたが、関東に引っ越してからは、ご無沙汰していました。
今回、大阪を外国の人に案内する機会があったので、大阪の味を知ってもらおうと昼食は「お好み焼き」にすることにしました。急に決めたことなので「ぼてぢゅう」以外は思いつきませんでした。とりあえず携帯で宿泊していたホテルの近くのお店を探しました。私が頼んだのは上のネギモダンです。

入ったお店は阪急三番街地下2Fにある1969年(昭和44年 計算すると42年前)に開店した梅田店で伝統のカウンタースタイルのお店でした。来たときは満席で入れなかったので店の前に一人残ってウインドショッピングをしてもらいながら席が空くのを待ちました。すぐに席があいたので携帯電話で連絡してお店に集合しました。
さっそく焼いてもらい始めました。カウンター席のおかげで大阪の雰囲気を味わってもらえました。お店の名前をぼてじゅうと思われている方も多いと思いますがぼてぢゅうが正解です。つまりじではなくてぢなのです。なぜ「ぢ」なのだろうと調べてみました。
お好み焼きをテコで「ぼて」とかえし、さらに「ぢゅう」と焼くことが語源だそうです。
クリックすると拡大

外国人にはメニューの写真を見て好きなものを選んでもらいました。お好み焼きを食べに来たのですが、みなさん焼そばを頼んでいました。確かに外国の人から見たらこちらの方が美味しそうに見えるのかも知れません。
クリックすると拡大

別の外国人が頼んだのもモダン焼でした。お好み焼きの種類ではありますが、これも純粋なお好み焼きではないですね。
クリックすると拡大

せっかく外国の人にお好み焼きを紹介したかったのですが、思惑が外れてしまいました。そこでシンプルなお好み焼きを追加で頼みました。もちろん皆さん焼ソバもモダン焼もお好み焼きも大満足でした。もしかしたら私が一番食べたかったのかもしれません。
クリックすると拡大

お好み焼きにはビールですね。グビ、グビと何杯も飲んでしまいました。この日の夕食も大坂名物の串カツにいたしました。


店舗数を調べてみました。「ぼてぢゅう」が有名と思っていたら、実はお好み焼きチェーン店で店舗数で最大のが「道とん堀」です。2011年と2014年を比較すると両方ともに地道に延びてきている感じがします。
専門の人が作るのが「ぼてぢゅう」に対して「道とん堀は基本的に自分で作るお店です。みんなで楽しく自分で焼くのを楽しむか、専門の人に焼いてもらうのか、その時その時」に決まってくるのだと思いました。料理店として別物で比較するのは次元が違っていたような気がしました。
実は「道とん堀」は家から車で3分で行けるところにあるほど千葉に浸透しているけれど「ぼてぢゅう」は1店舗もなかったのですが、現在は酒々井アウトレット店を含めて3店舗が出来ました。
              ぼてぢゅう          道とん堀
           2011年 2014年     2011年 2014年

海外6    12    0    5   
大阪15    18    4    3   
東京13    21    29    25   
神奈川5    9    24    23   
埼玉2    3    30    34   
兵庫2    4    3    2   
愛知1    3    7    8   
山梨1    0    3    3   
岡山1    3    2    2   
奈良1    1    1    1   
千葉0    3    22    25   
その他0    7    165    170   
合計47    84    290    301   

お店を紹介いたします。
 店名 :ぼてぢゅう 梅田店
 電話 :06-6374-2254
 営業 :11:00~22:00
 住所 :大阪市北区芝田1-1-3 
     阪急三番街 B2F
 開店 :1969年(昭和44年)
 系列 :ぼてぢゅうグループ   
 特徴 :カウンター席のみ
 
「ぼてぢゅう」のなかでも「カウンター席のみ」のお店は珍しいです。

「ぼてじゅう」は、もともと西野栄吉さん(左の写真)により1946年6月(68年前)に大阪市西成区玉出で創業したそうです。現在も「ぼてじゅう総本家」として続いてますが、紆余曲折を経て、「ぼてぢゅうグループ」と「大阪ぼてぢゅう」が出来て現在3社が「ぼてぢゅう」を名乗っているそうです。我々が一番よく知っている系列が、今回の「ぼてぢゅうグループ」で、現在の社長の栗田英人さんの父である北村貞次さんにより1962年7月に創業いたしました。
本白黒の写真は「ぼてぢゅう」のホームページから拝借させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
  • 2014-02-20 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA

オリジナルSo-net記事→ポチッ
クリックすると拡大
家内の知り合いの人が務めていた学校の生徒さんが実家で、小さな洋菓子店を始められたということで、その知り合いの方と家内が先週の土曜日(2013年4月27日)に行ってきました。その実家は養鶏場だとのとこで、もしかしたら今年の2月の記事「地たまごプリンとチェア 佐倉市立美術館」の中で紹介した長谷川養鶏園さんではないかと聞くと、予想が的中で小さな洋菓子店をやっている娘さんの実家は長谷川養鶏園さんでした。
その時はカフェラテを飲んで卵とお土産のケーキーを買って帰ったそうです。
養鶏園の洋菓子店を見てみたくなって昨日(2013年5月4日)、私と家内の二人で、お店にお邪魔しました。残念ながら養鶏園の産み立て卵の黄身を使ったプリンは売れきれでした。そこで私が頼んだのが上の写真のオレンジのシフォンケーキでした。

スポンジを見てもらいたくてシフォンケーキを拡大いたしました。シフォンケーキの種類が充実していました。写真をクリックするとさらに拡大します。
クリックすると拡大

アールグレイティーと一緒にいただきました。


こちらが家内が頼んでN.Yチーズケーキです。
クリックすると拡大

こちらが店内のテラスです。壁が黒板になっていて、そこにメニューが書かれていました。写真をクリックすると読めると思いますが、5月4日のメニューを紹介いたします。
 シフォンケーキ5種(バニラ、メープル、オレンジ、抹茶、完熟バナナ)
 オレンジとバナナのショートケーキ、、N.Yチーズケーキ、はせたまプリン
 フレントトースト2種、たまごかけご飯、パンケーキ
 ドリンク11種
クリックすると拡大

手元のメニューに「たまごかけご飯のお米は立石さんち」と書かれていました。「下高野の立石さんですか?」と聞くと「そうです。」との答えでした。実は以前に辻切りの風習を紹介させていただいた千葉県八千代市下高野の方だったのです。私の家から歩いて10分くらいところの田んぼのお米でした。ちょっと感激でした。


お店は実家の敷地の建物を改装し2013年4月18日(木)10:00にOPENしたそうです。OPENして17日目でした。
 店名 洋菓子 HASEGAWA
 住所 千葉県佐倉市上志津原173 長谷川養鶏園内
 営業 基本的に金曜、土曜、日曜、祝日の9:00~17:00
     正確な営業日はFacebookで確認願います。


こちらが販売ケースです。5種類のシフォンケーキが並んでいました。シフォンケーキがお得意のようです。


地元の佐倉産の小麦粉を使ったクッキーがあったので買ってきました。
クリックすると拡大

先週、家内が買ってきたお土産のオレンジとバニラのシフォンケーキ2種です。こちらは紅茶でいただきました。
クリックすると拡大

こちらも先週、買ってきた卵です。こちらの卵は佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンに使われています。鶏はボリスブラウン種で、長谷川養鶏園の卵は千葉県・県知事賞を受賞したことがあるそうです。
クリックすると拡大

卵を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。
クリックすると拡大

黄身の張りが特徴なので殻を割った生を紹介いたします。黄身が盛り上がって美味しそうです。
クリックすると拡大

上野写真はくりっくすると拡大するのですが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。


やっぱり新鮮な卵は、たまごかけご飯で食べるのが一番ですね。
クリックすると拡大

かきまぜました。海苔やネギを乗せる前の卵かけご飯を紹介いたします。
クリックすると拡大

目玉焼きでもいただきました。つい卵の話になってしまいましたが、洋菓子HASEGAWAは産み立て卵の洋菓子店だったのです。長谷川養鶏園の敷地内で産み立て卵も買うことが出来のです。
クリックすると拡大

前回の記事でも紹介した「ぶらり途中下車の旅」の動画です。娘さん(店長)のお母さんが登場いたします。


動画ではブリンの画像がきれいでないので写真を掲載します。これが長谷川養鶏園さんの卵を使った佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンです。
クリックすると拡大

航空写真にユーカリが丘駅からと志津駅からと勝田台駅からのルートを記載いたしました。ユーカリが丘駅からと志津駅からのルートで最後に右折する入口に「たまご売ります。」の幟(のぼり)が立てられています。
より大きな地図で 洋菓子HASEGAWA を表示
2013年5月10日時点でのYahooおよびGoogle出の検索結果
順位が空欄の部分は100位以内に入っていない場合です。興味のる方は検索を試してみてください。ちなみに着色された数値をクリックすると検索画面を表示します。 
*マークは2013年5月11日の時点では100以内に入っているキーワードです。
キーワードYahooGoogle
12順位総数順位総数
生みたて卵  10,700,000 9,080,000
産みたて卵 411,900,00031,840,000
うみたて卵 1,480,000 1,180,000
生み立て卵 18864,0002854,000
産み立て卵 16864,0001854,000
産み立て卵ケーキ2201,0001200,000
産み立て卵プリン2102,0001102,000
産み立て卵洋菓子134,900134,900
産み立て卵洋菓子店115,700115,700
産み立て卵佐倉123,100123,100
産み立て卵千葉3191,0003191,000
産み立て卵シフォンケーキ120,800120,800
卵洋菓子店7764,0001855,000
卵佐倉 1,040,000*1,040,000
卵洋菓子165,100,00025,100,000
卵シフォンケーキ 1,700,000 1,700,000
洋菓子店佐倉*96,600296,600
洋菓子店卵9863,0001863,000
洋菓子店千葉 1,010,000 1,230,000
洋菓子店プリン 950,000 949,000
洋菓子佐倉 404,000 310,000
洋菓子卵224,960,00025,070,000
産みたて卵ケーキ3286,0001286,000
産みたて卵プリン2134,0002134,000
産みたて卵洋菓子145,100145,100
産みたて卵洋菓子店116,800116,800
産みたて卵佐倉128,700128,700
産みたて卵千葉3269,0002269,000
産みたて卵シフォンケーキ119,100119,100
うみたて卵ケーキ*384,000*315,000
うみたて卵プリン*230,000*191,000
うみたて卵洋菓子*83,900*78,200
うみたて卵洋菓子店*25,100*25,100
うみたて卵佐倉*64,500*64,500
うみたて卵千葉*213,000*213,000
うみたて卵シフォンケーキ1454,200254,200
生みたて卵ケーキ*2,900,000*2,910,000
生みたて卵プリン*1,370,000*1,370,000
生みたて卵洋菓子24395,0003395,000
生みたて卵洋菓子店10127,0003127,000
生みたて卵佐倉8321,0002321,000
生みたて卵千葉*2,160,000*2,110,000
生みたて卵シフォンケーキ29228,0002204,000
  • 2013-05-05 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 1
Pagetop

マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan

オリジナルSo-net記事→ポチッ
クリックすると拡大
2013年4月14日は姪っ子の誕生日でした。誕生日会で娘が買ってきてくれたのがピエール・エルメ・パリ(PIERRE HERME PARIS)で買ってきてくれたケーキでした。ピエール・エルメ・パリのスイートで有名なのがマカロン(MACARON)です。そのマカロンが使われたケーキでした。今回、掲載したケーキの写真は全てクリックすると拡大するように設定しましたので是非とも拡大写真を見てください。
クリックすると拡大右の写真の普通のマカロンは、固く泡立てたメレンゲに砂糖、アーモンドプードル(パウダー)等を加えて混ぜて焼き上げた柔らかな2枚の生地にクリームやジャム、ガナッシュをはさんだパリ風マカロン(マカロン・パリジャン、macaron parisien)のことを指し、正式には柔らかいマカロンという意味のマカロン・ムー(macaron mou)と言われています。もともとはマカロンは16世紀にイタリアのカトリーヌ・ド・メディシスがフランス国王アンリ2世のもとに嫁ぐ時に、多くの料理人と菓子職人を引き連れて来て、その菓子職人によって、現在の元となったマカロンがイタリアからフランスに持ち込まれたそうです。イタリアではアマレッティと呼ばれていました。ただしフランス・ロワール地方のコルムリーの修道院では791年から現在までマカロンが作られていたそうです。現在のパリ風マカロンになったのは1930年にパリにあるラデュレという菓子店のピエール・デフォンテーヌが2枚の マカロンにジャムやクリームをサンドして売り出したのがはじまりだそうです。

クリックすると拡大新鮮なラズベリー(フランス語ではフランボワーズ)がたっぷりと使われているのを感じてもらうために横からの写真も掲載いたしました。誕生日祝い用の細いローソクももらってきたのですが、マカロンにローソクを立てるのはお薦めしないとのお店の人の話だったのでローソクは使いませんでした。ケーキーの上には真っ赤なバラの花弁が飾られているセンスの高いケーキでした。ケーキの名前はイスパハン(Ispahan)です。ピエール・エルメの代表作品でもあるようです。そしてイスパハンはバラの一品種の名前であるとともに、見事な庭園がある古都(古代ペルシア)の名称でもあるそうです。
クリックすると拡大

マカロン・ローズに挟まれたラズベリーを拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。お店ではフランス語のフランボワーズの名が使われているラズベリーの新鮮さが伝わってくると思います。
クリックすると拡大

ケーキの上に乗っていたバラの花びらも掲載いたします。小さな水滴のアクセントが印象的な傷一つない新鮮な花びらが使われていました。3枚の食用バラの花びらは娘と姪っ子たちが食べました。ピエール・エルメ・パリのマカロンを食べた方は、このケーキのすごさがわかってもらえると思います。お洒落な美味しいスイートでした。
お店の名前にもなっているピエール・エルメ(Pierre Hermé)はフランスの「パティスリー界のピカソ」といわれている人物であり、自らの名前を使用したPIERRE HERMÉ PARISというパティスリーショップを展開しています。彼はパリ風マカロンの発祥の菓子店であるラデュレの副社長にもなったことがあります。
その日本店でもあるピエール・エルメ・パリ・青山(PIERRE HERME PARIS Aoyama)はピエール・エルメの日本初の路面店として、2005年2月にオープンたお店です。ホテル内には1998年にニューオータニにオープンさせています。
  住所 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山1F・2F
  電話 03-5485-7766
  営業 1F 11:00~20:00  2Fカフェ 12:00~20:00
  定休 不定休
クリックすると拡大

娘と姪っ子たちで記念撮影です。今回は私と娘と家内と姪っ子と姪っ子の妹さんと姪っ子のお母さんの6人だったので、さっそく6等分に切りました。ラズベリーは周囲だけではなくて中にも沢山入っていました。さらに沢山のライチも入っていました。そしてローズ風味の生クリームが使われていました。フランボワーズ(ラズベリー)とライチとローズの味と香りが楽しめるケーキでもありました。
クリックすると拡大

これがマカロン・ローズです。マカロンの食感が伝わったでしょうか。
クリックすると拡大

クリックするとバックのHP下の写真がケーキを入れて帰った紙バックです。実は穴(リーフホール)の開いたクリックするとWikipediaデザインがピエール・エルメのデザインの特徴で左のようなバルバラリール(Barbara Rihl)デザインの革製のオリジナルバックも売られています。
スイーツ界の巨匠であるピエール・エルメ氏の写真も紹介しておきます。
アルザス・コルマールのパン屋の4代目として1961年11月20日に生まれ、現在、51歳です。
  • 2013-04-18 :
  • 未分類 :
  • コメント : 1 :
  • トラックバック : 1
Pagetop

佐倉のチューリップ祭り

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
佐倉市では2013年4月6日(土)~2013年4月29日(月)の期間にチューリップ祭りが行われています。チューリップ祭り、あるいはチユーリップまつりは昔からの呼び方で今は、佐倉チューリップフェスタが公式の呼び方です。でも我々はチューリップ祭りと呼んでいます。4月13日の早朝に車で行きましたが、その前に様子を見に自転車に行きました。ここでは86種類50万本ものチューリップが植えられています。オリジナルのSo-net記事→ポチッ

せっかく自転車で来たので何枚か自転車の記念撮影をいたしました。いずれもオランダ風車とチューリップを一緒に撮りました。


少し風車から離れて撮りました。
クリックすると拡大

さらに離れて撮りました。チューリップはいろんな種類があるので、すでに散りかけたチューリップもあるし、蕾の状態のチューリプもありました。
クリックすると拡大

2013年4月13日の早朝の7時20分ごろにみんなで来てみました。チューリップ祭りの期間中は広大な臨時駐車場が作られるために駐車に苦労することはありませんが、結構遠い場所になってしまうことがあるのですが、7時20分頃であれば風車の近くに駐車できることから早朝に来たのです。
屋台や売店やイベントは9時からなのでチューリップの景観を楽しむだけとなります。
この日の風車には日本の国旗とオランダの国旗が飾り付けられてチューリップ祭りの雰囲気を盛り上げていました。朝日が正面から当たる東側のエリアから、いろんな距離からの写真を3枚掲載いたします。
クリックすると拡大

これが最も遠くから撮った写真です。東側のエリアのチューリップは佐倉市内の沢山の小学校の生徒たちが植えたものです。学校ごとにエリアが区切られており小滑降の名前が書かれていました。
クリックすると拡大

低い姿勢から撮った風車です。やはりこの姿勢から撮る人が多かったです。
クリックすると拡大

西側のエリアから撮った風車です。早朝のため逆光気味ですがこの角度からも趣があります。
クリックすると拡大

風車の近くから売店の方向の景色もきれいです。
クリックすると拡大

チューリップの花のアップの写真を紹介いたします。チューリップと言えばやっぱり真っ赤なチューリップです。
クリックすると拡大

こちらは白いチューリップです。こちらのチューリップはこれから開いてきます。
クリックすると拡大

同じ色のチューリップを植えている小学校もあれば、いろんな色のチューリップを植えている小学校もありました。
クリックすると拡大

息子や娘たちが通った青菅小学校はいろんな色のチューリップを植えていました。この方が植えるのが楽しいでしょうね。この大きなエリア全体が青菅小学校の担当でした。


黄色のチューリップです。


ピンクと白のチューリップです。


白の紫の斑入りのチューりっふむです。


86種類のチューリップが植わっているので珍しいチューリップも沢山ありました。


風車の西側のエリアに植わっているチューリップは好きなものを買うことが出来ます。10本で500円です。


この広大な広さのチューリップ畑は壮観ででした。風車の西側のエリアは繁殖と販売が目的のため人が自由に中を歩けるように少し間隔をあけて植えられています。
クリックすると拡大

佐倉のお土産品(落花生・お味噌・まんじゅう・酒)の販売や飲食店のエリアもありました。時間は9:00~16:00なので、まだ準備中でした。テントのの中なので雨が降ったときの休憩場所としても使えそうです。


恒例の屋台も沢山出ていました。これだけの屋台が並ぶ景観は久しぶりでした。
  • 2013-04-16 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

山菜「こしあぶら」の天ぷら

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
山椒の芽の佃煮を作るために山椒の芽を採りに行った雑木林には、ちょうど食べごろのコシアブラの芽がありました。さっそく採ってきて天婦羅にいたしました。コシアブラの芽は苦味があるために天ぷらが、よいようです。「おひたし」や「和え物」でも食べれるそうです。

採れたての山菜の天婦羅とくれば、やっぱりビールです。コシアブラの天婦羅は塩でいただきました。


幼木に出来た若芽です。コシアブラはタラの芽で有名なタラノキと同じウコギ科です。葉の形は違いますが棘のある幹はそっくりでした。これは次のために残してきたコシアブラの芽です。あまり枝分かれせずにまっすぐに立ち、葉は先端だけに集中するところもタラノキに似ています。タラノキの樹高が2~4mなのに対してコシアブラは7~10mで時には20mに達するものもあるそうです。
      こしあぶら            たらのき(タラの芽)
  目 : セリ目 Apiales         セリ目 Apiales
  科 : ウコギ科 Araliaceae      ウコギ科 Araliaceae
クリックすると拡大  属 : ウコギ属 Eleutherococcus タラノキ属 Aralia
コシアブラの木材は、米沢市に伝わる木工工芸品の笹野一刀彫(おたかぽっぽ)を作る際の材料として用いられているそうです。コシアブラの枝は皮を、こするときれいに抜けて、芯と皮とが分離するそうです。昔、これを刀と鞘に見立て、子供の玩具とされたことから「刀の木」とも呼ばれたそうです。
クリックすると拡大

この芽は食べごろです。柔らかそうです。コシアブラは「漉し油」を意味しています。こちらの写真をクリックすると新鮮な美味しさが伝わってくると思います。
クリックすると拡大

採ってきたコシアブラの芽です。幹を傷つけたときに得られる樹脂は加工を施すと黄金色に輝く塗料を作成することができて、古来、金漆(ごんぜつ)と呼ばれ、工芸用塗料として珍重されてきたそうです。コシアブラ(漉し油)の名は、この樹脂の利用に由来する名称だそうです。
クリックすると拡大

ハカマの部分を取り除いて使います。短時間の間にこれだけ採れました。
クリックすると拡大

翌日もコシアブラを採りに行くと結構とれたので、今度は「おひたし」と「和え物」にすることにいたしました。これが「コシアブラのおひたし」です。創味の、だし醤油をかけていただきました。程よい苦味が山菜であることを伝えてくるの一品でした。太い茎の部分も、何とも言えない食感でおいしくいただきました。
クリックすると拡大

こちらが「コシアブラの和え物」です。すり鉢ですりおろしたゴマと醤油と砂糖で味付けをしました。こちらも特徴のある味が美味しかったです。
クリックすると拡大

やっぱりビールを飲みたくなりました。「コシアブラのおひたし」と「コシアブラの和え物」以外で用意された夕食は「小田原産のアジの干物」と「ゴマ豆腐」と「糸三つ葉の玉子とじ」と「味噌汁」でした。
クリックすると拡大
  • 2013-03-27 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。


2013年3月13日追記 タイトル: ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。
オリジナル記事 → ポチッ

昨日、ネコヤナギの写真を撮って掲載するときに調べて雌雄異株であることを知りました。写真などから雌花ではないかと記載しましたが、もう一つ自信がなかったので今朝確認に行きました。
ねこやなぎ(猫柳)の特徴はネットで調べると次のように書かれていました。
・雄花の特徴
雄しべは2個。花糸は合着して1個、基部には腺体が1個ある。葯ははじめ紅色で、黄色の花粉を出したあと黒くなる。
・雌花の特徴
雌花序は長さ2.5~4cm。子房はほとんど無柄。白い毛が密生する。花柱は長さ2.5~3mm。腺体は1個。苞は披針形で上部は黒色。下部は淡緑色。両面に長い白毛がある。果実はさく果。成熟すると裂開して、綿毛に包まれた種子をだす。
雄花の特徴である「葯ははじめ紅色で、黄色の花粉を出したあと黒くなる。」と今回、撮った写真の特徴から雄花の可能性が高いことがわかりました。前回も、その特徴がありましたがより鮮明に表れていました。

さらに花を拡大すると黄色の花粉らしきものも確認できました。これだけの量だし、黄色い雄蕊の近くだけについていることから、風で飛んできた花粉ではないと思います。


咲き始めたばかりは真っ赤でした。これからも雄花と言えそうです。
クリックすると拡大

花を一つを見ると「雄しべは2個。花糸は合着して1個」というところが雄花の特徴と合致していますが、こちらはネットの雌花とも似ているので、この写真からは結論が出せませんが、上の3枚の写真から判断して今回のネコヤナギの写真は雄花と思われます。実が出来るころに再度確認はしたいと思っています。



2013年3月12日掲載 タイトル: 朝のワンコの散歩でネコヤナギを見つけました。

今朝(2013年3月12日)のワンコ散歩の時に花の開いたネコヤナギを見つけたのでポケットに入れてあったカメラで、この写真を撮りました。右上にはよく見るネコヤナギの蕾が写っています。この写真から見ると、下の方から順番に咲いていくようです。調べてみるとネコヤナギは雌雄異株で、雄株と雌株がそれぞれ雄花と雌花を咲かしますが、これは雌しべ雄しべで、おおわれているようなので雌株雄株でしょうか。雌株か雄株か確定できていないので、この次は雄株雌株を探してみます。ネコヤナギの名前は猫の尾に花が似ていることからつけられたようです。

花を拡大してみました。雌しべ(または雄しべ)が沢山ありました。花粉が出ているようにも見えます。明日にでも、もう一度行ってみて花粉の有無で雄花か雌花かを決着させたいと思いの素。


少し遠くから撮ったネコヤナギです。畑の中に植えられており畑の周囲には沢山の梅の花が咲いていました。1972年の23版発行牧野新日本植物図鑑では「かわやなぎ」の名前が正式で一名として「ねこやなぎ」が使われていました。ネットで「かわやなぎ」を調べても少ないので、今は「ねこやなぎが」が正式名のようです。あるいは別の種類として認識されているようにもうかがえます。
  界 : 植物界      Plantae
  門 : 被子植物門   Magnoliophyta
  綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱 : ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
  目 : ヤナギ目    Salicales
  科 : ヤナギ科    Salicaceae
  属 : ヤナギ属    Salix
  種 : ネコヤナギ   S. gracilistyla

  • 2013-03-23 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 1
Pagetop

鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線


水戸の偕楽園や大洗に行った後、家に帰るルートを携帯で検索すると非常に稀なことですが鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えると水戸経由で特急を使って帰るよりも20分以上も早かったのです。これは14時18分という時間帯が偶然を生んだのだと思います。水戸経由だとフレッシュひたちの特急料金900円もかかることから、迷わず鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えて変えることにいたしました。成田たからは京成電鉄に乗って帰りました。

こちらの写真が大洗から鹿島神宮に乗った車両で、水戸から大洗駅に入ってきたところです。見ての通り1両の車両でした。この車両は6000形で1985年から日本車輌製造および新潟鐵工所のライセンス生産で製造された鋼製車体、両運転台式の大洗鹿島線用気動車です。開業時に6両製造され、以後1993年までに合計19両(6001 - 6019)が製造されたそうです。全長は20.5mで、トイレや冷房装置を装備し定員は120名(うち座席56名)です。日本の気動車で唯一、縦形直噴のディーゼルエンジンを搭載した車両でもあります。


今回乗った鹿島臨海鉄道は鹿島臨海工業地帯への原料および生産品の輸送のため、1969年に国鉄(現:JR)や茨城県や進出企業の出資により設立された貨物専業鉄道でした。
正式会社名は鹿島臨海鉄道株式会社(Kashima Rinkai Tetsudo Co., Ltd. 略称:KRT)で、第三セクター方式の鉄道事業を行っています。
最初は北鹿島(鹿島サッカースタジアム)~奥野谷浜の間である今の鹿島臨港線で主に貨物営業をしていましたが、1984年に現在の大洗鹿島線を国鉄から鹿島臨海鉄道が引き受けたことで現在に近い形になりました。したがって現在は大洗鹿島線と鹿島臨港線の2路線を有しています。今回乗った大洗鹿島線はOarai-Kashima Lineの頭文字を取った「OKL」のシンボルマークがあります。
1969年04月01日:鹿島臨海鉄道株式会社設立。
1970年07月21日:鹿島臨港線北鹿島~ 奥野谷浜 開業(貨物専業)。
1978年07月25日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入)旅客営業開始
1983年12月01日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入)旅客営業廃止
1984年03月22日:水戸~北鹿島を国鉄から鹿島臨海鉄道が引受けること決定*1
1984年09月11日:水戸~北鹿島 免許取得
1985年03月14日:水戸~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入) 営業開始 大洗鹿島線
  
*1 株主である茨城県の議会決議日 1984年3月22日
  鹿島臨港線 19.2km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~奥野谷浜
  大洗鹿島線 53.0km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~水戸
こちらは大洗駅の写真です。大洗駅は車両保管や整備を行う車両基地でもあります。鹿島臨海鉄道の本社もここにあるそうです。


こちらが運転席越しに見た前の景色です。鹿島神宮駅へ到着寸前で建物が沢山写ってが、大洗を出発してから鹿島神宮駅まで56分間のタイムスリップしたような景色を楽しむことが出来ます。


こちらが後側です。見ての通り車掌の方はおられません。こちらの列車は基本的にワンマンカーですが、ほとんどの駅が無人駅であることから一時的に車掌の方が乗られてきて検札と切符の販売をいたします。車掌の方がおられるときは前後のドアが開きますが、ワンマンカーになったときは運転席側のドアしか開かないので、乗られるときは社内放送に注意してください。


こちらが社内です。この時は検札と切符の販売のために車掌の方が乗られていました。ちょっとした旅行気分が味わえる雰囲気でした。我々はベンチシートの部分に座り、そのベンチシートのあたりから撮った写真です。


鹿島神宮駅でJRに乗り換えました。JRの車内から乗ってきた鹿島臨海鉄道の車両を撮ったものです。同じホームで乗り換えられる上に乗り換え時間も2分と短いため効率的です。


2両編成の車両も走っていました。これは大洗駅から水戸に向かう列車です。我々より2分後の2時20分発でした。鹿島臨海鉄道も2011年3月11日の東日本大震災により被害を受け大洗鹿島線が全線復旧したのは4ケ月後の2011年7月12日でした。


この2枚の写真はフリー百科事典のWikipedia(ウッキペディア)から拝借いたしました。今でも鹿島臨海工業地帯の貨物輸送を行っており左の写真のようなディーゼル機関車を4両所有しています。
右の写真は茨城県が所有している7000形(2両 7001,7002)で毎年6月のアヤメの開花時期や正月のように多客輸送に合わせて臨時的に運転されるそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらが今回のルートです。到着駅は私の最寄駅ではないのですが、仮に京成佐倉駅といたしました。クリックするとルートを表示左の上側が鹿島神宮駅経由の今回のルートで、左の下側がフレッシュひたち40号を使った水戸と柏と船橋を経由するルートです。値段も時間も今回のルートが得なことがわかってもらえると思います。
鹿島臨海鉄道→JR鹿島線→JR成田線→京成本線のルートでした。

大きな地図で見る
  • 2013-03-23 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 1
Pagetop

結婚式の招待状


興味深い結構式の招待状なので掲載いたします。これは中国から届いた結婚式の招待状です。海外から結婚式の招待状をもらったのは初めての経験でした。上の写真は招待状が入った封筒です。日本だと白い封筒ですが、中国は赤がおめでたい色なので真赤な封筒を使うようです。封筒の両サイドに龍と鳳凰がデザインされているのが中国らしいですね。白抜きのところに私の名前が書かれていました。

下の写真が封筒を開けて、出てきたカードです。このカードを開くと中に招待状が入っていました。
真中に書かれている赤色の大きな文字囍が印象的です。
この囍は結婚だけで使われるダブルハッピネス と呼ばれている、すごくおめでたい文字なのです。

これが招待状を開いたところです。結婚式は3月22日です。日付が2種類、書かれていますが左側の2月15日は旧暦です。中国の人でも旧暦は調べないと判らないそうですが、旧暦を書くのが正式なのかもしれません。
左側に新婦の名前 右側が新郎の名前です。
結婚するのは二人とも日本人です。中国の同じ職場で運命的な出会いでした。二人とも前年の最初のころに赴任しました。もちろん初対面でした。
もちろん結婚式には出席させたもらいます。日本にいる会社の関係者はさすがに少なくて4名だけです。
先生の文字の上に私の名前が書かれています。先生と言うのはTeacherではなく中国で使われる敬称なのです。結婚式が、はじまる時刻は中国らしく十八時十八分(18時18分)と書かれており、ほんとうに18時18分に始まりました。


結婚式の前日の晩に結婚式が行われる町に着きました。この町が大きくなったのは最近のことだし、このときは住んでいる日本人も、まだ20人に達していません。したがって、この200万人の中国の地方都市においては日本人同士の結婚式が行われるのは、きっと、はじめての事だったと思います。大げさに言えば、この町にとっては歴史的結婚式でした。両方のご両親も昨晩、無事に着いたそうです。参加者は日本人が20人くらいで中国人が60人くらいと想像していました。
さてどんな結婚式なのでしょうか。完全に中国式で行うそうです。→予想を越えて109人以上でした。
写真は15時46分です。徐々に結婚式の準備が進められていますがホテルの入口には3つの看板がたてられました。我々の結婚式以外に更に2つの結婚式が行われるため同じホテルで同時に3つの結婚式が行われました。
  • 2013-03-23 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

近所の早咲きの桜が満開になりました。


息子たちや娘が通った千葉県の佐倉市立井野中学校には沢山の早咲きの桜が植わっており、毎年きれいな花を咲かせてくれます。今年も満開になりました。写真は2013年3月20日に撮りました。

桜並木の長さは180mあり結構楽しむことが出来ます。ここから下の写真はすべてクリックすると拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

ピンクの花の満開の姿を紹介いたします。ここから下の写真はすべてEF100-400mmのレンズを使って撮りました。上の写真はEF24-105mmです。
クリックすると拡大

沢山のはなが咲いていました。
クリックすると拡大

蕾も散っている花もない状態でした。
クリックすると拡大

ズバリ100%の開花状態でした。
クリックすると拡大

ソメイヨシノよりピンク色が濃い花で桜らしい花の姿です。
クリックすると拡大

開花宣言に使われる桜の代表である染井吉野(ソメイヨシノ)も急に咲き始めました。週末には満開になる勢いで花数が増えています。こちらは佐倉市立小竹小学校の桜です。
クリックすると拡大
  • 2013-03-21 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

岩国のお土産は「岩国寿司」でした。


山口県の岩国に行く前日にテレビを見いてると偶然にも岩国のことをやっていました。そこに出来たのは錦帯橋と蓮根と岩国寿司でした。
そして偶然にも、叔父さん(母の弟)からお土産をいただいたのが岩国寿司(いわくにずし)でした。

岩国寿司は山口県岩国市周辺で作られる押し寿司の一種で、岩国城内で食べられていたこともあることから「殿様寿司」とも言われています。地元では「角ずし」と呼ばれることも多いけれども、広島地域で食べられる角寿司とは若干製法が異なるそうです。
2~ 3人前ずつ一層で作られる通常の押し寿司と異なり、一度に3升から1斗入る大きな木枠の中に、クリックすると拡大サワラやアジなどの生魚の身をほぐして混ぜ込んだ酢飯の上に春菊などの青菜、岩国名産の蓮根、椎茸、錦糸卵などをのせ、これを何層にも重ね、サンドイッチ状にし、重石でしばらく押し固め、木枠を抜いて、一人前サイズに切り分ける作り方です。右の写真はWikipediaの岩国寿司の画像から拝借いたしました。
層の区切りにバショウやハスの葉を用いるのが特徴的だそうです。できあがった大きな押し寿司を一人前ずつに切り分けてるために一度に数十人前が出来上がることになります。
錦糸卵などで彩られ、切り分けた後でエビなどを後のせすることもあり、見た目はちらし寿司風でした。写真はクリックすると拡大足します。
クリックすると拡大

クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。中に入っているレンコンがしゃきしゃきして美味しかったです。

  • 2013-03-20 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

函館のうに丼

オリジナル記事
 http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-08-11-33
クリックすると拡大
この写真は函館で是非食べてみたかった製造直営店の雲丹丼です。函館に行って食べてきました。新鮮でした。一つ一つが完璧な雲丹が乗せられたすばらしいウニ丼でした。これ以上の説明は不要ですね。上の写真は是非ともクリックしてみてください。
が表示された写真は拡大します。
クリックするのが面倒な方のために部分拡大の写真を掲載させていただきました。ウニに隠れた白いご飯もおいしそうです。


メニューの丼物のページです。読みづらい場合は写真をクリックしてみてください。
どんぶりは4種類です。こちらのお薦めはなんと言っても無添加の生うにを使ったウニ丼なので私は思い切って、うに丼にしました。
 うに丼  2625円
 イクラ丼 1680円 
 三色丼  2100円
 海鮮丼  1890円
今まで売られているウニは無添加と思っていましたが、市場に出ている殆どの『生うに』は形崩れを防ぐために明礬(ミョウバン)が使われていることを知りました。函館に来たおかげて自然のままのウニを味わうことが出来ました。
クリックすると拡大

これは、別の人が食べた三色丼です。
こちらもいろんな味が楽しめる一品だと思います。
クリックすると拡大

お店の外観です。うにの加工を行っている中村商店の直営店で函館駅前の朝市仲通にあります。隣は蟹を沢山置いているお店でした。これらのウニは函館の隣の北斗市の中村商店の本社工場で加工されているようです。クリックすると刺身メニューを表示いたします。

                       
新鮮な美味しい"うに丼"でした。お店を紹介しておきます。
 店名 うにむらかみ 函館店
 住所 北海道函館市大手町22-1
 電話 0138-26-8821
 HP  http://www.uni-murakami.com/hakodate/index.html
 加工 村上商店 北海道北斗市七重浜1-8-10


ネット上で「うにむらかみ」の動画がありましたので拝借いたします。


加工場の中村商店(赤マーク)から、うに丼が食べれる、うになかむら函館店(緑のマーク)まで6.2km、車で6分だから、無添加の美味しい雲丹丼が食べれるのだと思います。これだけの好条件のところは少ないと思います。

より大きな地図で
うに丼ルート を表示
  • 2013-03-17 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

近所の自慢のケーキ屋さん 杏

クリックすると拡大
オリジナル記事
 http:// makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

2人の姪っ子のお土産を紹介したので、娘のお土産も紹介いたします。実は家から車で数分の距離のところに、ちょっとシャレたケーキ屋さんの杏(Ann)というお店があるのですが、少し遠いけれども歩いて買ってきてくれましたケーキがこちらです。2002年2月にオープされたオリジナルのケーキを提供してくれるお店です。
こちらがお店は住宅街の中にあります。
近所の自慢のケーキ屋さんを紹介いたします。地図を添付いたします。
  店名 創作菓子 杏  Sousaku-gashi ANN
  住所 千葉県佐倉市ユーカリが丘1-5-11
   電話 043-488-3838
  営業 10:00~20:00
  定休 水曜
  シェフ 横井 康人(オーナー パティシエ/pâtissier)
  HP  http://www.0434883838.com/

より大きな地図で 創作菓子 杏 を表示
ケーキの個別の写真を撮らなかったので、今までに撮ったケーキの写真を紹介いたします。こちらは誕生日ケーキです。
クリックすると拡大
  • 2013-03-17 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop

ブログ

表紙

外部ブログを使っています。
記事を読まれる場合は、ポチッまたは以下のURL をクリックしてください。   

ここをクリック→ポチッ

   URL→   http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/

  • 2009-06-20 :
  • 未分類 :
  • コメント : 0 :
  • トラックバック : 0
Pagetop
ホーム
Pagetop
プロフィール

煤渡黒助

Author:煤渡黒助
FC2ブログへようこそ!

最新記事
  • 買ってきた小さなサボテンが花を咲かせました。 雪晃(haselbergii) (02/22)
  • 豪快に伊勢海老を4匹 (10/06)
  • 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。 (05/01)
  • Google地図への食事場所の登録 (12/02)
  • 初めて「ちゃっかりPlus」を使ってみました。 ジェットスター (10/09)
  • 赤ばふん生うに丼 みさき (08/20)
  • 変わった形のクモ(蜘蛛) (06/08)
  • 送電線取替工事 新旧の送電線の交換方法 (03/25)
  • 2017年の青菅の「どんどれえ」 子供たちが沢山参加していました。 (01/24)
  • あけましておめでとうございます。2016年 元旦 六甲山の行者山 (01/01)
  • 養老渓谷 中瀬遊歩道 (12/12)
  • 70年代のウイスキー (02/14)
  • 手塚治虫記念館に行ってきました。 (10/09)
  • 今回のお土産の目玉はレトルトカレー (06/29)
  • 最新の動画を追加しました。 我が家のワンコの得意技 (03/15)
  • 大阪でお好み焼き (02/20)
  • 産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA (05/05)
  • マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan (04/18)
  • 佐倉のチューリップ祭り (04/16)
  • 山菜「こしあぶら」の天ぷら (03/27)
  • ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。 (03/23)
  • 鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 (03/23)
  • 結婚式の招待状 (03/23)
  • 近所の早咲きの桜が満開になりました。 (03/21)
  • 岩国のお土産は「岩国寿司」でした。 (03/20)
  • 函館のうに丼 (03/17)
  • 近所の自慢のケーキ屋さん 杏 (03/17)
  • ブログ (06/20)
最新コメント
  • すもも:養老渓谷 中瀬遊歩道 (12/12)
  • 税金の計算:マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan (06/07)
最新トラックバック
  • まっくろクロスケ:2015年 青菅のどんどれえ 初めて餅を焼きました。 (01/24)
  • まっくろクロスケ:1月14日は青菅のどんどれえ 2014年 (01/24)
  • まっくろクロスケ:大雪の中の「青菅のどんどれえ」 2013年 (01/24)
  • まっくろクロスケ:青菅どんどれえの「竹立て」を見に行きました。 (01/24)
  • まっくろクロスケ:2017年の青菅の「どんどれえ」 子供たちが沢山参加していました。 (01/24)
  • まっくろクロスケ:産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA (05/05)
  • まっくろクロスケ:マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan (04/18)
  • まっくろクロスケ:ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。 (03/23)
  • まっくろクロスケ:鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 (03/23)
月別アーカイブ
  • 2020/02 (1)
  • 2019/10 (1)
  • 2019/05 (1)
  • 2018/12 (1)
  • 2017/10 (1)
  • 2017/08 (1)
  • 2017/06 (1)
  • 2017/03 (1)
  • 2017/01 (1)
  • 2016/01 (1)
  • 2015/12 (1)
  • 2015/02 (1)
  • 2014/10 (1)
  • 2014/06 (1)
  • 2014/03 (1)
  • 2014/02 (1)
  • 2013/05 (1)
  • 2013/04 (2)
  • 2013/03 (8)
  • 2009/06 (1)
カテゴリ
未分類 (28)
検索フォーム


RSSリンクの表示
  • 最近記事のRSS
  • 最新コメントのRSS
  • 最新トラックバックのRSS
リンク
  • まっくろクロスケ
  • 管理画面
このブログをリンクに追加する
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Powered by FC2 Blog

Copyright © まっくろクロスケ All Rights Reserved.