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2017年の青菅の「どんどれえ」 子供たちが沢山参加していました。

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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると動画を表示
千葉県佐倉市青菅地区には何度か紹介しているように1月14日におこなわれる「どんどれえ」と呼ばれている江戸の初期から続く「どんど焼き」ですがが残っています。この「どんどれえ」を知ったのは2012年の「どんどれえ」が行われた後でした。2013年からは、2015年以外は毎年見に行っていました。そして今年は「どんどれえ」を作る作業である「竹立て」を初めて見学させてもらいました。竹立てが行われたのは2017年1月8日(日曜日)でした。すでに「竹立て」に関しては紹介させていただきました。本記事では2017年1月14日に行われた本番の「どんどれえ」の紹介をさせていただきます。
竹立ての記事はこちらです。 → ポチッ

こちらが2017年1月8日の「竹立て」で作られた「どんどれえ」です。この写真は「竹立て」が行われた翌日に撮りに行ったものです。9本の竹が立てられています。上の写真は9本目を立てている瞬間の写真です。
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「どんどれえ」の点火は1月14日の18時に行われるため17時43分に「どんどれえ広場」に到着いたしました。すでに周囲はカメラのセンサーが反応しないほど真暗闇でした。右の写真は露出調整したものです。1月14日は小正月(こしょうがつ)の前日で、日本各地では下記の年中行事が行われます。
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 左義長・どんと祭 どんど焼きを行う日
 十四日年越し   小正月(1月15日)の前日にあたる
 飾納・松納    正月飾りや門松を取り外す日
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今回は土曜日だったこともあり車が近くの道路には沢山駐車していました。近くの小学校の近くの駐車場にも車が停められていました。私が見学に来はじめてから一番多い気がしました。今まで土曜日と日曜日は無かったのです。ただし来年は日曜日です。
 2013年1月14日 月曜日 大雪の中のどんどれえ
 2014年1月14日 火曜日 どんどれえの様子を詳しく紹介
 2015年1月14日 水曜日 初めて餅を焼きました。
 2016年1月14日 木曜日 見に行けませんでした。
 2017年1月14日 土曜日 子供たちが沢山参加していました。 
 2018年1月14日 日曜日 来年の「どんどれえ」
 2019年:月曜日 2020年:火曜日 2021年:木曜日 2022年:金曜日
 2023年:土曜日 2024年:日曜日 2025年:火曜日 2026年:水曜日
 2027年:木曜日 2028年:金曜日 2029年:日曜日 2030年:月曜日


耐火服を着た人や消防団の消防車も横に控えていました。
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すでに正月飾りなどが置かれていました。
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こちらで1人に1個、お餅が配られました。餅焼き用の竹も用意されていました。
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18時になると点火です。
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小学生と大人の2名が、たいまつ(松明)で点火しました。
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すぐに火が大きくなりました。
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この時は皆さんは比較的近くで見ていますが火が大きくなってくると熱いので遠くにはなります。餅を先端に付けた竹を皆さんもっています。
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反対側にも点火いたしました。
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火が大きくなるにつれて見学の輪が広がっていきます。
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火が積み上げられた雑木の上の部分まで上がりました。
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見学のわが広がっ来たのが判ってもらえると思います。
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少し離れて撮りました。火の粉が高く上がっているのが判ってもらえると思います。
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動画でも紹介します。点火すると一気に火が大きくなりました。 最後のころは仕込んだ竹が爆発する音も聞くことが出来ます。


見学の人の数も私の経験の中で一番多かったです。
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遠くからの動画を紹介します。竹の割れるが続きます。


クリックすると拡大ここで竹が倒れました。
中央の竹の「ドウシンボク」の倒れた方角で一年の豊凶を占います。青菅側(南側)に倒れると青菅が豊作、先崎側(北側) に倒れると先崎が豊作と言われています。今回は南側に倒れたので今年は青菅が豊作です。暗くて分かりにくいけれども左下に葉のついた竹が倒れています。倒れる前に、竹の先端の葉の部分に火が移ると右の写真(2015年1月14日撮影)のように炎が高く上がります。今回は火が先端に移る前に倒れてしまったために右のような写真は撮れませんでしたが、それでもすごい迫力でした。
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炎はさらに大きくなりました。
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下の部分も燃え上がっています。
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完全に炎に包まれるときもありました。
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9本の竹が倒れた直後からの動画です。


竹が倒れてしばらくすると餅を焼く人が、餅を先端に刺した長い竹や木で餅を焼き始めますが、かなり輻射熱が強烈なので、まだ大人の男性の一部だけです。すごく長い竹が用意されていた理由が判りました。
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私も焼いてみました。手前から炎に向かって竹が延びているのが判ると思います。これが私の竹です。焼けたと思ったらすぐに離れました。
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焼けた私のお餅です。餅は先端の方が燃えました。どうやら前からの輻射熱が強烈なようで来年からは餅の刺す方向を変えてみます。竹は他の人に渡して撮影に専念いたしました。
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フラッシュを使うと餅がよく見えます。こちらの刺し方の方が片面ですが、餅全体が焼けそうです。
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フラッシュなしです。
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かなり熱いので焼けたらすぐに後ろに下がります。
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動画でも餅焼を紹介します。中盤から餅焼きが始まります。


まだまだ火は強いです。
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ワンちゃんも見に来ていました。
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少し離れててみました。
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さらに離れた景観です沢山の人が見学に来られているのが判ってもらえると思います。
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さらに遠くからの景色です。
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土曜日だったこともあり沢山の子供たちが来ていました。子供たちが近づけるほどの日の勢いになって来たようです。ここから子供たちを中心にほほえましい「どんどれえ」を紹介したいと思います。
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こちにも家族で餅焼きです。
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火が弱くなってきたと言えどもまだまだ火の勢いはありました。
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クリックすると拡大どんどれえの火で焼いたお餅を食べると一年間風邪をひかないそうです。こちらの女性も2人の娘さんのお母さんで、この後、右の写真のように3人で一緒に餅を焼いていました。右の写真は小さいけれどもクリックすると大きく拡大します。
実はこのお餅の焼き方は正式なやり方なのです。
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二股に分かれた栗の枝の先にお餅を刺して焼くのが正式のやり方だそうです。
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この時の炎の具合です。
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兄弟での餅焼きの記念写真もいい思い出になると思います。


驚くほど沢山の子供たちが見に来ていました。
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子供4人でお餅を焼いています。思い出になると思います。
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動画でも紹介します。今までに見に来た中で子供たちが一番多かったです。動画はインタビューの光景から始まります。


インタビューの光景です。取材をしているのは地元のテレビ局のケーブルネット296で、近いうちにこの「どんどれえ」が放送されると思います。
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こちらの子が、たいまつ(松明)で「どんどれえ」に点火しました。
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火が少し収まってきました。門松の「燃えちゃれ(=燃えさし)」を持ち帰り、門口にさすと、「盗難除け」「魔除け」になると言われます。
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弱まったと言えどもまだ火の勢いはありました。
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ほとんどの見学の人は帰られて、残っている人は僅かです。
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私が離れる時の火の状態です。見学の人はいなくなって、火が燃え尽きるまで見守の人だけが残っていました。
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家に帰ってさっそくお餅をいただきました。元々が柔らかいので、そのまま美味しくいただきました。偶然ですが、配られるお餅は私の知り合いの方が当日についたものです。その方にどんどれえ塚の前で会ってもう一ついただきました。そちらは家で焼餅にして醤油と海苔をつけて食べました。やっぱりつきたて美味しかったです。
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青菅どんどれえ塚の位置をGoogle地図で紹介します。近くの道に車を停めることは可能ですが、土曜日曜など混むときは下記の地図の駐車可能場所( )と記載した場所(広い空地)に車を停めることをお薦めします。
駐車可能場所( )からどんどれえ塚( )までは420mです。
 どんどれえ塚         千葉県佐倉市青菅69-2
 ユーカリゴルフプラザ駐車場  千葉県佐倉市先崎233
 駐車可能場所         千葉県佐倉市宮ノ台1丁目18-2
 ━━ ユーカリが丘線中学校駅からの徒歩ルート 1400m
 ━━ ユーカリゴルフプラザからの徒歩ルート   740m


追伸
2017年1月22日は私の誕生日でした。JALとANAとBIGLOBEと任天堂さんからメールが届いて気が付きました。個人からメールが来ないのはちょっと寂しいですね。ただし神戸での飲み会のメールが2つ届きました。実は2月3日から10日まで関西です。下の写真はBIGLOBEさんからプレゼントされた壁紙です。オリジナルサイズは1920x1080ですが480x270に縮小して紹介しています。
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こちらはANAさん
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こちらはJALさん
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こちらは任天堂さん
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あけましておめでとうございます。2016年 元旦 六甲山の行者山

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2016年の年賀状

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。

So-netブログをはじめて今回の正月は7回目になります。2009年5月5日に最初の記事を掲載して6年8ケ月(80ケ月)が経ちました。沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。

2016年元旦

今年の新年最初の記事としては、宝塚の実家近くの行者山(ぎょうじゃやま)を紹介したいと思います。上の写真は、実家近くから撮った行者山です。写真の中央の高い山が行者山です。行者山は六甲山系の山の中の一つで東の端に位置します。
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生まれてから11ケ所( )に住んだことがあります。2015年12月23日から12月30日まで母と犬が住んでいる宝塚市逆瀬川にある実家に帰省していました。その実家は六甲山の東側にあり、学生時代から関東に引っ越すまでの間は、よく六甲山を歩きまわっていましたが、不思議なことに実家に一番近い行者山には登ったことがなかったのです。今回、2015年12月28日に、その行者山に初めて登ってみました。
    0歳 兵庫県伊丹市に生まれる
    1歳 兵庫県西宮市夙川に引越
    2歳 広島県広島市平野町に引越
    3歳 広島県広島市井口に引越 → 記事
   10歳 兵庫県神戸市東灘区岡本に引越
   14歳 兵庫県神戸市東灘区本山に引越
   16歳 兵庫県宝塚市に引越 今の実家の場所
 1988年 千葉県船橋市に引越
 1993年 千葉県佐倉市に引越
      大阪府茨木市と神戸市須磨区にも住んでいたことがあります。


クリックすると拡大実家から逆瀬川の支流となる白瀬川の横を歩きました。今は大きな住宅地になっていますが、私の学生時代は山林で実家の犬(ジョン)と走り回っていた場所でした。
今はありませんが、犬が泳いだ池もありました。
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川沿いの太い道が途切れました。川の右側の黒い車の奥に道がありそうなのでそちらに進んでみることにいたしました。
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こちらが車の奥の部分を拡大した写真です。
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やはり細い道がありました。この辺りはワンコの散歩道になっているようでした。
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進んでいくとハイキングコースの大きな案内板がありました。実は、実家を出るときから行者山に登るつもりではなく、この案内板を見るまでは甲山の方に登り、仁川駅に出るつもりでした。この案内板を見て、とりあえずは行者山東観峰に登ってみることにいたしました。
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結果的には3秒間隔で点滅させている太い赤いラインを歩きました。親切なことに黒い丸の部分に、その場所の現在位置を書いた地図付きの案内板がありました。歩いたルートの地図付きの案内板の写真も順番に紹介したいと思います。地図内の現在地と書かれているところに、この案内板がありました。


最初は、ゆずり葉散策路と名付けられた道を歩きました。
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不思議なことに大きな南天の木が生えていました。南天の木は庭木だと思っていたので不思議に思ったわれです。考えてみるに人家が全くなかった学生時代にも、この辺りで南天の木を見た記憶がありました。元々は渡来した栽培種の実を鳥などが運んで野生化したものと考えられているようです。
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道を歩きやすいように、石が組まれているのに驚きました。きっとボランティアの人が整備してくれたと思うのですが大変な作業だったと思います。
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六甲山でよく見かけるシダが生えている小道になってきました。
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登りきったところに行先を示す標識がありました。東観峰・行者山と書かれた方向に進みました。


まさに雑木林の中を進む感じでした。ところどころにイノシシなのか掘り返した後もありました。
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このような大谷と書かれた石の標識が小道の真ん中に埋められていたので、後で調べるつもりで写真に納めました。


このように階段のように整備された小道もありました。ここの左側には砂防ダムがありました。
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よく見ると、単なる板ではなく滑り止めが付けられた板が使われていました。ここにも整備に力が入っていることが伝わってきました。
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最初の現在地を示す地図付き案内板です。ここからは東観峰までは概ね山の尾根伝いに登っていきます。
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山の尾根なので道の両側が険しい崖のところもありました。
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危険な部分には虎テープが張られている上に、きつい登りの部分にはロープが設置されていました。道の右側のロープが判るでしょうか。このロープを使って登りました。
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雑木が多く枯葉で道が判りにくいところには標識も建てられていました。
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石が動かないように鉄杭も打ち込まれていました。これなら安心して石を使って踏ん張れます。
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急なところはロープだけではなく梯子も設置されていました。これには驚かされました。見た目よりは急阪で確かに梯子が無かったら大変だと思いました。
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少し見晴らしがいいところに出たので六甲山の山頂方向(西方向)の写真を撮りました。まだ東方向の眺望は見れませんでした。
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また梯子とロープが設置されていました。
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甲山が見える場所に出ました。左の丸い山が甲山です。甲山は火山の痕跡である山で、1200万年前に噴火したとされています。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩からなる六甲山とは違う形成過程であると考えられています。
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上の写真を撮った場所の写真付き案内板です。
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こんな感じで写真付き案内板が立てられていました。
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さらに尾根伝いに小道を進みます。
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開けた場所に出ました。甲山をバックに現在地を示す地図付き案内板が立てられています。
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こちらが案内板の地図です。今まで出てきた案内板は上が北でしたが、この地図は上が南です。つまり案内板の地図は立てられている方向や見る方向によって地図を変えているのです。心憎い配慮です。
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宝塚南口の高層マンション群です。宝塚歌劇の大劇場も写っています。
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宝塚歌劇の大劇場をズームアップいたしました。正式名「宝塚大劇場」は1992年完成で毎年100万人以上の観客を動員しているそうです。
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上の写真はズームしたものでね目で見た感じはの写真を紹介します。この写真はクリックすると特別に大きく表示するように設定いたしました。
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少し東方向です。逆瀬川駅や実家があるあたりも写っています。
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行者山東観峰に着きました。
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ここには登頂記念箱が設置されていました。


このノートに記念の言葉を書くのです。


行者山東観峰に設置されていた現在地わ示す地図付き案内板です。
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行者山東観峰からの宝塚駅および宝塚南口方向の眺望です。
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大阪方向の眺望です。
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ここには基準点が設置されていました。
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2級基準点で西宮土木事務所が設置したようです。ネットで調べた標高は361.18mでした。


行者山東観峰からは一旦は西方向に下ってから行者山に登ります。
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目の前の小高い山が行者山(415m)なので標高差は99mです。
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東観峰から行者山に向かいました。
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行者山の少し手前にも地図付き案内板が設置されていました。名前は行者山東展望台(400m)です。
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これが地図です。現在地が判ってもらえると思います。
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行者山東展望台から見た甲山です。池は西宮カントリー倶楽部(ゴルフ場)内にある深谷貯水池です。リゾートホテルのような建物は、阪急逆瀬台マンション・アヴェルデの1番館~5番館だと思います。
この建物の中に、以前に紹介した出石そばのそば義があります。
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こちらにも基準点が設置されていました。


行者山東展望台から見た東観峰です。
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行者山東展望台と行者山を結ぶ道です。距離はわずかです。
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行者山に着きました。標高は415mです。このあたりの最高峰です。
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こちらが現在地の地図です。
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ただし周囲が木でおおわれているため景色が見えません。だから行者山東展望台があるのだと感じました。


行者山を離れました。
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下り始めました。
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下っていく途中に不思議な石の配置がありました。
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枯葉をどけてみると基準点でした。
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こちらの基準点は兵庫県の3級基準点でした。


六甲山から降りてくる道に出ました。分岐点に例の案内板が立っています。
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奥の方から降りてきました。
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現在地を示している地図です。こちらは上が南です。
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こちらが六甲山の方向です。
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こちらが光ガ丘の方向です。こちらの方向に降りていきました。ここが支多々川の源流です。道そのものが川なのです。
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水は流れていませんが、湿っており苔などの胞子植物が沢山生えていました。
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シダ植物も多かったです。
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大雨の時は、ここを水が流れるのだと思います。
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ここで川と別れました。左に川が下っていき、道は右に進みます。
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道の部分です。
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東観峰からの道に合流いたしました。
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もうすぐ光ガ丘口です。
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尾根を進んだ後に、また支多々川に出てきました。見えているのは砂防ダムです。
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水が流れているのが判ると思います。
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もうすぐ住宅地です。
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写した中の最後の案内板です。
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そして、これが案内板の地図です。
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道路が見えてきました。
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住宅地に見えてきました。川は支多々川です。実家の近くまで流れていきます。
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昔からの町並みを流れる支多々川です。
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この先は武庫川につながっています。
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実家の近くまで戻ってきました。正面が行者山で、その左が行者山東観峰です。
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歩いた全コースを紹介します。ただし実家の正確な位置が特定されないように実家の近くだけルートを少しずらしております。ちなみに六甲山最高峰は931.25mで、甲山は309.2mです。
 ━━ 歩いたハイキングコース
 ━━ 住宅地内を歩いたコース
   西逆瀬台口
   316m 行者山東観峰
   400m 行者山東展望台
   415m 行者山
   光ガ丘口

養老渓谷 中瀬遊歩道

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写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は養老渓谷の中瀬遊歩道の中で最も有名な場所です。2015年11月28日の朝の散歩で中瀬遊歩道を歩いたので養老渓谷の中瀬遊歩道を紹介したいとクリックすると拡大思います。
ここに来るきっかけは、養老温泉の宿泊が入ったゴルフパックで前日の11月27日に千葉夷隅ゴルフクラブで11名でプレーして、養老温泉の嵯峨和に泊まりました。7時30分からの皆での朝食の前に中瀬遊歩道を歩きました。

中瀬遊歩道のルートをGoogle地図にプロットしました。
遊歩道は川に並べられた飛び石(渡石)で養老川を3回ほど渡るので、往復で6回ほど渡ることになります。
朝6時44分に右の写真の嵯峨和を出発して中瀬遊歩道を往復して戻ってきたのが7時29分で、みんなで食べる7時30分からの朝食に間に合いました。泊まった旅館の嵯峨和は黒い色をした黒湯の温泉と、しし鍋が有名でした。
クリックすると拡大  ━━ 1.2km 中瀬遊歩道
  ━━ 0.2km 嵯峨和~中瀬遊歩道
  ━━ 7.0km 嵯峨和~ゴルフ場
  ━━ 川を渡る飛び石 3ケ所
   養老温泉 嵯峨和 (さがわ)
   弘文洞 (こうぶんどう)


それでは順番に紹介したいと思います。出発地点の中瀬遊歩道入口です。
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小道を進んでいくと養老川に出ます。
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養老川に出たところからの下流方向の景色です。出世観音で有名な立國寺に行く赤い観音橋が見えます。
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同じ場所から上流側を撮った写真です。ここから上流に向かって歩きます。
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飛び石(渡石)で川を渡ります。
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飛び石(渡石)から上流側を見た景色です。水面には靄がかかっており静かな雰囲気が伝わってきました。
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飛び石で川を渡って振り返った景観です。
朝早かったので中瀬遊歩道であった人はここに写っている4人+1匹だけでした。私は往復歩いたので手前の2人には2度出会いました。


この日は一番の冷え込みのため外気より水の方が温度が高いようで、空気の流れが少ないところは湯気で水面が覆われていました。
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川沿を少し進むと中瀬キャンプ場があり、バーベキューを楽しむ施設がありました。煙が上がっており、すでに火を熾して食事の準備をしているようでした。
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少し高い位置を歩きました。
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紅葉も進んでいました。もう少ししたらさらにきれいな紅葉を見せてくれる雰囲気でした。養老渓谷は日本一遅い紅葉が楽しめる場所と言われています。
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川底は固い岩盤で出来ていて、岩盤の形により所々で川面が波立っていました。
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川を渡る2番目の飛び石の場所につきました。川は大きく曲がっており独特の雰囲気を出してくれていました。
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飛び石の上から上流側を撮りました。千葉県はほとんどが平坦地のため渓谷がある景色は珍しい場所なのです。そんな意味で養老渓谷は基地ような存在です。
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同じ場所から動画も撮りました。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。渓流の水の音を聞いてもらえると思います。


飛び石を渡り切った位置から下流側を取りました。
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岩盤の脇の小道を進みます。
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これが養老渓谷の特徴的な岩盤の川底です。このような川底が続いていました。今回の写真は明るく撮れているように見えますが、実際には早朝なのでかなり暗いのです。飛んでいる白い鳥が2羽写っているのですがシャッタースピードが長いためにボケたように映っています。明るい時間帯だとどの写真も鮮明で鮮やかだったと思います。
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養老渓谷を代表する景勝地である弘文洞(あるいは弘文洞跡)に到着いたしました。養老川は右から左に流れています。その養老川に対して奥から水が流れ込んでくる景観なのです。昔からの景観のように思えますが、大昔の正面は岩の絶壁で塞がれていたのです。
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遊歩道に弘文洞の説明板(案内板)が立てられていました。
弘文洞は江戸時代に蛇行する養老川と、岩山を隔てて流れる夕木川(別名:蕪来川)とを、耕地開拓目的でつなぐ為に、岩山に、川の隊道(トンネル)を作ったものです。隧道が造られた頃は、人の背丈程度でしたが、天井部分が崩落し次第に大きな洞となったそうです。その隊道は1979年5月24日突如上部が崩落し、現在の景観になったわけでが、崩落しても独特の景観があり養老渓谷を代表する景勝地となっているわけです。崩落したことから弘文洞は弘文洞跡と呼ばれるようになったわけです。現在の景観からも大規模な工事であったことが想像できます。弘文洞が造られた正確な年代が気になりますが、ネットで検索しても造られた時期としは、約140年前と江戸時代と、稀に江戸時代末期の、3種類の記述があるだけです。さらに2015年においては江戸時代(412年前~147年前)と、約140年前は矛盾することになっています。
クリックすると拡大下記の説明版がネット上で出てくる最も古い記事が右の写真の2004年11月です。それでも数年が経過したように見えることから現在の説明板は立てられてから15年程度が経過した考えられます。約15年前に立てられた説明坂に「おゝよそ140年前」に弘文洞が造られたと記載されていることから、弘文洞は今から約155年前に造られたことになります。江戸時代は1868年までなので少なくとも147年前以上ということになるので、控えめに言うとして約150年前(1865年前後)あるいは江戸末期に造られたと表現するのが妥当そうです。
右の写真はネットから転用させていただいた崩落前の写真です。夕木川は隧道でつながる前も養老川の支流でした。39代弘文天皇である弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名されたと伝えられています。江戸期には蛇行している河川の上流と下流が近接する所にトンネルや切り通しを作って、つなぎぐことはよく行われて、「川廻し」と呼ばれていました。「川廻し」によって干上がった河床を農地に利用するのが目的だったそうです。
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文字がかすれてきているので、説明坂の記載内容を枠内に転記いたします。
弘文洞跡
今から、おゝよそ一四〇年前、耕地を開拓するため、養老川の支流 蕪来川を川まわしして造った隧道で葛藤の穴洞と呼ばれておりました。
弘文帝と、十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として、世に紹介されましたが、昭和五十四年(一九七九)五月二十四日未明、一大音響とともに崩壊し現在にいたっております。
養老渓谷観光協会
蕪来川 : かぶらきかわ  葛藤 : くずふじ

遊歩道は少し高いところを通っているので川面まで下りて写真を撮りました。こちらが冒頭の写真だったわけです。
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同じ場所から養老川の上流側を撮りました。
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同じく、下流側を撮りました。
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夕木川(別名:蕪来川)の方をズームいたしました。
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泊まって旅館・嵯峨和に弘文洞の崩落前の写真が2枚飾られていたので写真を撮らせていただきました。クリックすると拡大写真を表示します。
 左の写真は養老川の方から撮った弘文洞です。
 右の写真は夕木川(別名:蕪来川)の方から撮った弘文洞と思われます。
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弘文洞のあたりの航空写真も紹介いたします。左下方向が夕木川です。


さらに遊歩道が上流側に続きます。
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弘文洞跡を離れて中瀬遊歩道を進むと3番目の、川を渡る飛び石に着きました。
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飛び石を渡って川の右岸を進みます。静かなきれいな景観が続きました。写真は撮れませんでしたが、カワセミも見かけました。
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遊歩道終点となる赤い共栄橋が見えてきました。
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ここが中瀬遊歩道終着地点です。橋の右側に1970年に造られた趣のある共栄トンネルがあります。
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その趣のあるトンネルの名前は共栄トンネルですが、このトンネルがちょっと変わったトンネルであることを、家に帰ってからネットで知りました。下の写真のように、外からは普通のトンネルに見えたのですが、中から見ると右の写真のように2階建てになっているのです。出入口以外のトンネルは岩盤のままであることから、このあたりの山は岩盤で出来ていることが右の写真からも分かると思います。
下側部分(新隧道)は、後から作ったものと思われます。行く機会があったときは是非とも見てみてください。内部からの写真は大多喜町のホームページから転用させてもらいました。元々は92mの向山トンネルでしたが西口の位置を低くしてカーブさせながら延長したことから、現在の形になったようです。現在でもトンネルの東側の大半には向山トンネルと名前がつけられています。
詳しい構造と説明がネットにありました。→ポチッ
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共栄橋の上からの上流側の養老川です。建物は温泉旅館「川の家」です。我々が泊まった旅館と同様に「黒湯」を特徴とした泉質の温泉です。
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クリックすると拡大共栄橋の上からの下流側の景色です。川の左側の川沿いの道が、歩いてきた中瀬遊歩道です。この時、7時11分でした。ここから中瀬遊歩道の同じ道を戻って旅館に着いたのが7時29分でした。なんとか7時30分からの皆との朝食に間に合うことが出来ました。
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養老渓谷周辺ではいくつかの景勝地があり、ハイキングコースとしては下記の①~③が代表的です。紅葉が特に楽しめるところとしては、滝めぐりコース沿いと、大福山・梅ケ瀬コースのもみじ谷と、筒森もみじ谷があります。そしてほとんどの景勝地が川沿いにあることが分かってもらえると思います。
 ・養老八景
   A 金神の滝  B 栗又の滝  C 水月寺  D 筒森もみじ谷  E 懸崖境
   F 弘文洞跡  G 観音橋・出世観音  H 梅ケ瀬渓谷
 ・ハイキングコース→ポチッ
  ①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース  F   G
  ②滝めぐりコース            A   B   C
  ③大福山・梅ケ瀬コース         H
  青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
  緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
  紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。


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70年代のウイスキー

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今、ウイスキー(Whisky)を題材にしたNHKの朝の連続ドラマが放送されているのを機会に我が家に古くから置かれていたウイスキーの写真を撮ってみました。紹介の物はすべて1960年代か1970年代の物です。上の写真のはGLEN GARRYという銘柄で、Finest Scotch Whiskyと書かれているのでランクは高いもののようです。スコッチウイスキーです。今では簡単に手に入るようですが、1970年ころには日本では珍しいもので父が一番気に入っていました。同じ名前の銘柄は手に入りますが、写真のラベルの物は手に入れるのは難しいのではないでしょうか。

フラッシュなしの写真も紹介いいたします。はっきりとした年代は判りませんが約50年前だと思います。ラベルの内容を転記いたしました。
GLEN GARRY
Finest SCOTCH Whisky
100% SCOTCH WHISKIES
DISTILLED AND BOTTLED
IN
SCOTLAND

JOHN HOPKINS & CO LTD
Distillers
GLASGOW , SCOTLAND

AND GLEN ELGIN-GLENLIVET DISTILLERY
LONGMORN , SCOTLAND

DISTILLED AND BOTTLED IN SCOTLAND
UNDER BRITISH GOVERNMENT SUPERVISION
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ネット内で出てくるGLEN GARRYの画像です。似たものはありますが、同じものはまだ見つけられていません。
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こちらもスコッチウイスキーです。WHITE HORSE、よく聞いた名前です。これはラベルに書かれているようにブレンデッド・ウイスキーです。モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたもので安定した品質のものを沢山作るのに適しているそうです。
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こちらもスコッチウイスキーです。そしてブレンデッド・ウイスキーです。銘柄はAmbassador Royalで12年物です。
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左はPinchと書かれているので、こちらもスコッチウイスキーです。右はSUNTORY VERY RARE OLD WHISKY と書かれていることから日本万国博覧会の開催記念のサントリーのオールドです。1969年か1970年にはつばいされたものと思われます。
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左はウイスキーではなくブランデーです。右はウイスキーで、銘柄はSANDY MACDONALD です。アレクサンダー・マクドナルド社で作られていたスコッチウィスキーです。アレクサンダー・マクドナルド社とグリーンリース・ブラザーズ社が19世紀に合併し、サンディ・マックとして出来た会社が発売していたものです。ボトル中央に描かれている肖像画は、アレクサンダー・マクドナルド社の創業者で、気さくな人柄だったようで、「サンディ」「マック」などと親しみを込めて呼ばれていたため、その呼称がそのままお酒の銘柄として起用されたそうです。
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こちらは中国のお酒で白酒(パイチュウ)の種類に入る茅台酒です。貰い物で、貰った時期は1972年±3年だと思います。貴州茅台酒(KWEICHOW MOU-TAI CHIEW)と書かれています。
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茅台酒は貴州省で作られている世界的に有名なお酒で、この茅台酒のアルコール濃度は55%です。クリックすると判ります。
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中国のお酒のように見えますが、日本酒です。銘柄は小鼓で原酒のようです。
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清酒で一級原酒と書かれています。西山酒造の1974年11月6日製造のものです。
清酒は新し内に飲むものなので41年も経過したものが飲めるものかどうかわかりません。お酢に変化してしまっているかもしれません。同じ醸造酒の中国の紹興酒などは古酒として珍重する場合があります。日本酒ではどうでしょう。
今回の銘柄をネットで調べてみると西山酒造は健在で小鼓という名の大吟醸でロンドン酒チャレンジ金賞、・モンドセレクション3年連続最高金賞、ITQI優秀味覚賞2年連続3ツ星金賞、・ワイングラスでおいしい日本酒アワード最高金賞などの賞をとっていました。


これらが今回紹介のお酒です。
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手塚治虫記念館に行ってきました。

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鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
  筆名  手塚 治虫 ( てづか おさむ )
  本名  手塚 治  ( てづか おさむ )
  生誕 1928年11月03日 現・豊中市
  死没 1989年02月09日 60歳
手塚治虫は生涯に漫画を604作を作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→ 作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
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建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
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モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
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火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
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建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
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建物に入りました。
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最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
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貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
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1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
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G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
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この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
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アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
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昔の漫画の単行本の展示棚です。
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単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
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懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
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図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
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並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
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2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
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ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
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記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
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手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
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これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
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7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
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こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
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こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
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こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
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こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
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こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
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こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
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年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
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鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送
  鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日
  鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

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こちらは後半の年表です。
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1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
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Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   430m 宝塚南口駅→記念館
   730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

歌は伊藤武雄→中島そのみ →上高田少年合唱団→伊藤武雄とかわりました。
伊藤武雄の歌はこちら →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
               http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場 →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。
途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
        初期               中期               後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
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今回のお土産の目玉はレトルトカレー

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今、中国です。2014年6月23日から懐かしい人たちに会うために上海から車で4時間の場所に来ています。今回のお土産は4種類です。昆布の佃煮と納豆と生ラーメンとレトルトカレーです。生ラーメンとレトルトカレーは今までもお土産の経験がありますが昆布の佃煮と納豆をお土産にするのは初めです。上の昆布の佃煮はフジッコ製の10種類で合計で22個を持ってきました。名前の頭の数値はそれぞれ持ってきた数ですが、数に差があるのは、私の好みで選んだためです。
  4 椎茸こんぶ        4 ちりめん山椒こんぶ  4 わさび昆布    
  2 しじみ生姜こんぶ    2 あさり生姜こんぶ    2 こもち昆布
  1 葉唐こんぶ        1 生姜こんぶ        1 しそ昆布

こちらも、お土産としては初めてとなる納豆です。国産大豆が高騰しているそうですが、沢山の納豆がある中で一番気に入っている「おかめ納豆 国産中粒納豆」を、8パックほど、お土産にいたしました。
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生ラーメンは日清の「行列のできる店のラーメン」シリーズにしてみました。5種類の9個です。5種類は、こってり醤油、こってり味噌、和歌山醤油とんこつ、坦々麺、釜炊き豚骨です。
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レトルトカレーは下の13種類の15個です。レトルトカレーと言っても平均価格が580円のカレーを集めてみました。一番高いカレーは864円でした。少し舞うまでは500円位するのは数個程度でしたが、高めのレトルトカレーが沢山販売されているのに驚かされました。
 864円 三田屋黒毛和牛カレー
 718円 飛騨牛カレー
 615円 神戸牛カレー
 615円 佐賀牛カレー
 581円 今半 牛すじカレー
 564円 玉ねぎと牛すじのカレー
 512円 ホルモンカレー
 512円 八起庵鶏カレー
 507円 富山ブラックカレー
 481円 丹馬牛ハッシュドビーフ
 481円 黒毛和牛ビーフカレー
 461円 仙台発祥・牛たんカレー
 408円 牛すじカレー
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最新の動画を追加しました。 我が家のワンコの得意技

2014年3月10日追伸 タイトル: 最新の動画を追加しました。
 

オリジナルSo-net記事 → ポチッ
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我が家のワンコ(名前 : ムサシ)は扉を開けることが出来ます。扉を開けるところの動画は、すでに紹介していましたが、すでに3年半が経過していることから、右下の写真の新しいカメラ(Canon Power Shot S120)で、ムサシが扉を開けるところを撮りなおしました。その動画を追加掲載いたしました。動画の前半が手前から扉を引いて開けるところですが、後半は扉の向こう側から扉を開けで入ってくるところをとらえましたので、19秒ですが、どうぞ最後まで見てください。
実は扉を開ける時に我々が、そばに居ると、最初は扉を前足で叩いて我々に開けてくれるようにアピールしますが、無視していると自分で扉を開けます。一連の動きは別画面の方に収録しています。上の動画は督促するところは省略しています。別々に別画面で見たい場合は下記のポチッをクリックしてください。
クリックすると拡大  手前から開ける動画 → ポチッ 24秒
  向側から開ける動画 → ポチッ  9秒
初めて開けられるようになったムサシの年齢です。
  押して開ける    6歳8ケ月
  引いて開ける   8歳4ケ月
  スライド式扉   13歳5ケ月

SDカード新しいカメラは家内の3月4日~7日の海外旅行のために小さくて画像の良いカメラが欲しいということで買いました。
AF(オートフォーカス)は0.1秒だし連写は12.1枚/秒で、AFをしながらの連写(5.5枚/秒)も出来るということで、進歩を感じました。AF連写が出来るので連写中に被写体までの距離が変わってもピントが合うので、ワンコが走ってくるところの連写が撮れそうです。一秒間に約50MB(=4.2MBx12.1枚)の写真を撮ることになるので、SDカードも高速で書き込みが出来るR95・W90MB/Sにいたしました。
3月8日から学生時代のサイクリング部の友達が家に遊びに来ていたので、ワンコの得意技を見てもらいました。下の写真が卒業してすぐのもので、右が2014年3月9日の写真です。どちらの写真も左端が私です。この中の一人は私の結婚式以来、初めて会いました。3月8日は上野の居酒屋で2時間飲んだ後、私の家に来て昔のアルバムなどを見ながら、飲み直しました。


クリックすると拡大友達にスマホで撮ってもらった縦長の動画を送ってもらいました。その友達のFacebookに、この動画が乗せてもらえるそうです。この動画は縦長なのでサイドバーにも使わさせていただきました。右の写真の赤い矢印の3人です。この写真で真中が私で、左がスマホで動画を撮ってくれた人で、右が結婚式以来の人です。



2010年8月21日追伸 タイトル: You Tubeに登録しました。

本日(2010年8月21日)、我が家のワンコのレベルアップ技の動画をYou Tubeに登録しました。動画は前に紹介した2つと同じですが、前よりも大きな画面で見ることが出来ます。


少し苦労する姿の動画です。扉を押す方向に開けられるようになったのは2006年12月で、扉を手前方向ら引いて開けられるようになったのは2008年8月です。今ではスライド式の扉と玄関ドア以外は自由に行き来しています。YouTubeだと動画の形式や容量を気にせずに登録出来るのがいいですね。



2009年8月7日追伸 タイトル:レベルアップ技の動画が撮れました。
ついに扉を手前に引いて開けるところの動画を撮ることが出来たので紹介いたします。画像は、もう一つですが雰囲気は判ってもらえると思います。プレーボタンを押して見てください。少し画像が出るまで時間がかかる場合がありますが、ご了承願います。

もう一つ動画を紹介いたします。少し開け方が小さかったので向こう側に行くのに時間がかかってしまいました。


2009年2月7日追伸 タイトル:レベルアップ技の写真を撮りました。

手前に引いてドア開けるところの写真が撮れたので掲載いたします。押して開ける時より垂直に立って開けています。
これはワンコにとって、なかなか難しい技のように感じます。
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開けて向こう側に行くところです。教えていないのに、よく自分で覚えたものです。



2008年8月16日追伸 タイトル:得意技をレベルアップ

8月未明に得意技をレベルアップさせてしまいました。
オリジナルの記事は2007年2月5日でした。そのころはドアは取っ手を回したあと押す側にしか開けられませんでしたが、ついに手前に引く側も開けられるようになってしまいました。これで引き戸のところ以外は家中どこにでも行けてしまいます。困った!


2007年2月5日掲載 タイトル:ついに現場を押さえました。

家のワンコは教えていないのに扉が開けられるようになりました。確か3ケ月前からです。その瞬間の写真をついに撮ることができました。向こう側に開けることしか出来ませんが取っ手を押し下げることを覚えました。家の廊下側からはすべての部屋の扉は向こう側に開くので廊下側にいると、すべての部屋に自力で入れてしまいます。夜のうちに入ってゴミ箱を散らかしたりと、いたずらをするんです。困ったものです。
我々がいると所ではなかなか、しませんでしたが、やっと撮ることが出来ました。
IMG_0590-1200.jpg

下の写真は娘とちょっと遠出の散歩の時の写真です。写真をクリックすると子犬のころの写真を表示します。
誕生日は2000年4月4日です。
クリックすると子犬のころの写真

他の家族も紹介しておきます。左側の写真は実家にいた昔のワンチャンです。右側の写真が今の実家のワンチャンです。
クリックすると別の写真を表示 クリックすると別の写真を表示

大阪でお好み焼き

オリジナル記事 → ポチッ
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久しぶりに大阪のお好み焼き店「ぼてぢゅう」に入りました。関西に住んでいたころは、お好み焼きを食べに「ぼてぢゅう」によく食べに行きましたが、関東に引っ越してからは、ご無沙汰していました。
今回、大阪を外国の人に案内する機会があったので、大阪の味を知ってもらおうと昼食は「お好み焼き」にすることにしました。急に決めたことなので「ぼてぢゅう」以外は思いつきませんでした。とりあえず携帯で宿泊していたホテルの近くのお店を探しました。私が頼んだのは上のネギモダンです。

入ったお店は阪急三番街地下2Fにある1969年(昭和44年 計算すると42年前)に開店した梅田店で伝統のカウンタースタイルのお店でした。来たときは満席で入れなかったので店の前に一人残ってウインドショッピングをしてもらいながら席が空くのを待ちました。すぐに席があいたので携帯電話で連絡してお店に集合しました。
さっそく焼いてもらい始めました。カウンター席のおかげで大阪の雰囲気を味わってもらえました。お店の名前をぼてゅうと思われている方も多いと思いますがぼてゅうが正解です。つまりではなくてなのです。なぜ「」なのだろうと調べてみました。
お好み焼きをテコで「ぼて」とかえし、さらに「ぢゅう」と焼くことが語源だそうです。
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外国人にはメニューの写真を見て好きなものを選んでもらいました。お好み焼きを食べに来たのですが、みなさん焼そばを頼んでいました。確かに外国の人から見たらこちらの方が美味しそうに見えるのかも知れません。
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別の外国人が頼んだのもモダン焼でした。お好み焼きの種類ではありますが、これも純粋なお好み焼きではないですね。
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せっかく外国の人にお好み焼きを紹介したかったのですが、思惑が外れてしまいました。そこでシンプルなお好み焼きを追加で頼みました。もちろん皆さん焼ソバもモダン焼もお好み焼きも大満足でした。もしかしたら私が一番食べたかったのかもしれません。
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お好み焼きにはビールですね。グビ、グビと何杯も飲んでしまいました。この日の夕食も大坂名物の串カツにいたしました。


店舗数を調べてみました。「ぼてぢゅう」が有名と思っていたら、実はお好み焼きチェーン店で店舗数で最大のが「道とん堀」です。2011年と2014年を比較すると両方ともに地道に延びてきている感じがします。
専門の人が作るのが「ぼてぢゅう」に対して「道とん堀は基本的に自分で作るお店です。みんなで楽しく自分で焼くのを楽しむか、専門の人に焼いてもらうのか、その時その時」に決まってくるのだと思いました。料理店として別物で比較するのは次元が違っていたような気がしました。
実は「道とん堀」は家から車で3分で行けるところにあるほど千葉に浸透しているけれど「ぼてぢゅう」は1店舗もなかったのですが、現在は酒々井アウトレット店を含めて3店舗が出来ました。
              ぼてぢゅう          道とん堀
           2011年 2014年     2011年 2014年

海外6    12    0    5   
大阪15    18    4    3   
東京13    21    29    25   
神奈川5    9    24    23   
埼玉2    3    30    34   
兵庫2    4    3    2   
愛知1    3    7    8   
山梨1    0    3    3   
岡山1    3    2    2   
奈良1    1    1    1   
千葉0    3    22    25   
その他0    7    165    170   
合計47    84    290    301   

お店を紹介いたします。
 店名 :ぼてぢゅう 梅田店
 電話 :06-6374-2254
 営業 :11:00~22:00
 住所 :大阪市北区芝田1-1-3 
     阪急三番街 B2F
 開店 :1969年(昭和44年)
 系列 :ぼてぢゅうグループ   
 特徴 :カウンター席のみ
 
「ぼてぢゅう」のなかでも「カウンター席のみ」のお店は珍しいです。

「ぼてじゅう」は、もともと西野栄吉さん(左の写真)により1946年6月(68年前)に大阪市西成区玉出で創業したそうです。現在も「ぼてじゅう総本家」として続いてますが、紆余曲折を経て、「ぼてぢゅうグループ」と「大阪ぼてぢゅう」が出来て現在3社が「ぼてぢゅう」を名乗っているそうです。我々が一番よく知っている系列が、今回の「ぼてぢゅうグループ」で、現在の社長の栗田英人さんの父である北村貞次さんにより1962年7月に創業いたしました。
本白黒の写真は「ぼてぢゅう」のホームページから拝借させていただきました。
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産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA

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家内の知り合いの人が務めていた学校の生徒さんが実家で、小さな洋菓子店を始められたということで、その知り合いの方と家内が先週の土曜日(2013年4月27日)に行ってきました。その実家は養鶏場だとのとこで、もしかしたら今年の2月の記事「地たまごプリンとチェア 佐倉市立美術館」の中で紹介した長谷川養鶏園さんではないかと聞くと、予想が的中で小さな洋菓子店をやっている娘さんの実家は長谷川養鶏園さんでした。
その時はカフェラテを飲んで卵とお土産のケーキーを買って帰ったそうです。
養鶏園の洋菓子店を見てみたくなって昨日(2013年5月4日)、私と家内の二人で、お店にお邪魔しました。残念ながら養鶏園の産み立て卵の黄身を使ったプリンは売れきれでした。そこで私が頼んだのが上の写真のオレンジのシフォンケーキでした。

スポンジを見てもらいたくてシフォンケーキを拡大いたしました。シフォンケーキの種類が充実していました。写真をクリックするとさらに拡大します。
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アールグレイティーと一緒にいただきました。


こちらが家内が頼んでN.Yチーズケーキです。
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こちらが店内のテラスです。壁が黒板になっていて、そこにメニューが書かれていました。写真をクリックすると読めると思いますが、5月4日のメニューを紹介いたします。
 シフォンケーキ5種(バニラ、メープル、オレンジ、抹茶、完熟バナナ)
 オレンジとバナナのショートケーキ、、N.Yチーズケーキ、はせたまプリン
 フレントトースト2種、たまごかけご飯、パンケーキ
 ドリンク11種
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手元のメニューに「たまごかけご飯のお米は立石さんち」と書かれていました。「下高野の立石さんですか?」と聞くと「そうです。」との答えでした。実は以前に辻切りの風習を紹介させていただいた千葉県八千代市下高野の方だったのです。私の家から歩いて10分くらいところの田んぼのお米でした。ちょっと感激でした。


お店は実家の敷地の建物を改装し2013年4月18日(木)10:00にOPENしたそうです。OPENして17日目でした。
 店名 洋菓子 HASEGAWA
 住所 千葉県佐倉市上志津原173 長谷川養鶏園内
 営業 基本的に金曜、土曜、日曜、祝日の9:00~17:00
     正確な営業日はFacebookで確認願います。


こちらが販売ケースです。5種類のシフォンケーキが並んでいました。シフォンケーキがお得意のようです。


地元の佐倉産の小麦粉を使ったクッキーがあったので買ってきました。
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先週、家内が買ってきたお土産のオレンジとバニラのシフォンケーキ2種です。こちらは紅茶でいただきました。
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こちらも先週、買ってきた卵です。こちらの卵は佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンに使われています。鶏はボリスブラウン種で、長谷川養鶏園の卵は千葉県・県知事賞を受賞したことがあるそうです。
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卵を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。
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黄身の張りが特徴なので殻を割った生を紹介いたします。黄身が盛り上がって美味しそうです。
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上野写真はくりっくすると拡大するのですが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。


やっぱり新鮮な卵は、たまごかけご飯で食べるのが一番ですね。
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かきまぜました。海苔やネギを乗せる前の卵かけご飯を紹介いたします。
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目玉焼きでもいただきました。つい卵の話になってしまいましたが、洋菓子HASEGAWAは産み立て卵の洋菓子店だったのです。長谷川養鶏園の敷地内で産み立て卵も買うことが出来のです。
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前回の記事でも紹介した「ぶらり途中下車の旅」の動画です。娘さん(店長)のお母さんが登場いたします。


動画ではブリンの画像がきれいでないので写真を掲載します。これが長谷川養鶏園さんの卵を使った佐倉市立美術館のCafe Buona Giornataの人気プリンです。
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航空写真にユーカリが丘駅からと志津駅からと勝田台駅からのルートを記載いたしました。ユーカリが丘駅からと志津駅からのルートで最後に右折する入口に「たまご売ります。」の幟(のぼり)が立てられています。
より大きな地図で 洋菓子HASEGAWA を表示
2013年5月10日時点でのYahooおよびGoogle出の検索結果
順位が空欄の部分は100位以内に入っていない場合です。興味のる方は検索を試してみてください。ちなみに着色された数値をクリックすると検索画面を表示します。 
*マークは2013年5月11日の時点では100以内に入っているキーワードです。
キーワードYahooGoogle
12順位総数順位総数
生みたて卵  10,700,000 9,080,000
産みたて卵 411,900,00031,840,000
うみたて卵 1,480,000 1,180,000
生み立て卵 18864,0002854,000
産み立て卵 16864,0001854,000
産み立て卵ケーキ2201,0001200,000
産み立て卵プリン2102,0001102,000
産み立て卵洋菓子134,900134,900
産み立て卵洋菓子店115,700115,700
産み立て卵佐倉123,100123,100
産み立て卵千葉3191,0003191,000
産み立て卵シフォンケーキ120,800120,800
洋菓子店7764,0001855,000
佐倉 1,040,000*1,040,000
洋菓子165,100,00025,100,000
シフォンケーキ 1,700,000 1,700,000
洋菓子店佐倉*96,600296,600
洋菓子店9863,0001863,000
洋菓子店千葉 1,010,000 1,230,000
洋菓子店プリン 950,000 949,000
洋菓子佐倉 404,000 310,000
洋菓子224,960,00025,070,000
産みたて卵ケーキ3286,0001286,000
産みたて卵プリン2134,0002134,000
産みたて卵洋菓子145,100145,100
産みたて卵洋菓子店116,800116,800
産みたて卵佐倉128,700128,700
産みたて卵千葉3269,0002269,000
産みたて卵シフォンケーキ119,100119,100
うみたて卵ケーキ*384,000*315,000
うみたて卵プリン*230,000*191,000
うみたて卵洋菓子*83,900*78,200
うみたて卵洋菓子店*25,100*25,100
うみたて卵佐倉*64,500*64,500
うみたて卵千葉*213,000*213,000
うみたて卵シフォンケーキ1454,200254,200
生みたて卵ケーキ*2,900,000*2,910,000
生みたて卵プリン*1,370,000*1,370,000
生みたて卵洋菓子24395,0003395,000
生みたて卵洋菓子店10127,0003127,000
生みたて卵佐倉8321,0002321,000
生みたて卵千葉*2,160,000*2,110,000
生みたて卵シフォンケーキ29228,0002204,000

マカロンで出来た誕生日ケーキ Ispahan

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2013年4月14日は姪っ子の誕生日でした。誕生日会で娘が買ってきてくれたのがピエール・エルメ・パリ(PIERRE HERME PARIS)で買ってきてくれたケーキでした。ピエール・エルメ・パリのスイートで有名なのがマカロン(MACARON)です。そのマカロンが使われたケーキでした。今回、掲載したケーキの写真は全てクリックすると拡大するように設定しましたので是非とも拡大写真を見てください。
クリックすると拡大右の写真の普通のマカロンは、固く泡立てたメレンゲに砂糖、アーモンドプードル(パウダー)等を加えて混ぜて焼き上げた柔らかな2枚の生地にクリームやジャム、ガナッシュをはさんだパリ風マカロン(マカロン・パリジャン、macaron parisien)のことを指し、正式には柔らかいマカロンという意味のマカロン・ムー(macaron mou)と言われています。もともとはマカロンは16世紀にイタリアのカトリーヌ・ド・メディシスがフランス国王アンリ2世のもとに嫁ぐ時に、多くの料理人と菓子職人を引き連れて来て、その菓子職人によって、現在の元となったマカロンがイタリアからフランスに持ち込まれたそうです。イタリアではアマレッティと呼ばれていました。ただしフランス・ロワール地方のコルムリーの修道院では791年から現在までマカロンが作られていたそうです。現在のパリ風マカロンになったのは1930年にパリにあるラデュレという菓子店のピエール・デフォンテーヌが2枚の マカロンにジャムやクリームをサンドして売り出したのがはじまりだそうです。

クリックすると拡大新鮮なラズベリー(フランス語ではフランボワーズ)がたっぷりと使われているのを感じてもらうために横からの写真も掲載いたしました。誕生日祝い用の細いローソクももらってきたのですが、マカロンにローソクを立てるのはお薦めしないとのお店の人の話だったのでローソクは使いませんでした。ケーキーの上には真っ赤なバラの花弁が飾られているセンスの高いケーキでした。ケーキの名前はイスパハン(Ispahan)です。ピエール・エルメの代表作品でもあるようです。そしてイスパハンはバラの一品種の名前であるとともに、見事な庭園がある古都(古代ペルシア)の名称でもあるそうです。
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マカロン・ローズに挟まれたラズベリーを拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。お店ではフランス語のフランボワーズの名が使われているラズベリーの新鮮さが伝わってくると思います。
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ケーキの上に乗っていたバラの花びらも掲載いたします。小さな水滴のアクセントが印象的な傷一つない新鮮な花びらが使われていました。3枚の食用バラの花びらは娘と姪っ子たちが食べました。ピエール・エルメ・パリのマカロンを食べた方は、このケーキのすごさがわかってもらえると思います。お洒落な美味しいスイートでした。
お店の名前にもなっているピエール・エルメ(Pierre Hermé)はフランスの「パティスリー界のピカソ」といわれている人物であり、自らの名前を使用したPIERRE HERMÉ PARISというパティスリーショップを展開しています。彼はパリ風マカロンの発祥の菓子店であるラデュレの副社長にもなったことがあります。
その日本店でもあるピエール・エルメ・パリ・青山(PIERRE HERME PARIS Aoyama)はピエール・エルメの日本初の路面店として、2005年2月にオープンたお店です。ホテル内には1998年にニューオータニにオープンさせています。
  住所 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山1F・2F
  電話 03-5485-7766
  営業 1F 11:00~20:00  2Fカフェ 12:00~20:00
  定休 不定休
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娘と姪っ子たちで記念撮影です。今回は私と娘と家内と姪っ子と姪っ子の妹さんと姪っ子のお母さんの6人だったので、さっそく6等分に切りました。ラズベリーは周囲だけではなくて中にも沢山入っていました。さらに沢山のライチも入っていました。そしてローズ風味の生クリームが使われていました。フランボワーズ(ラズベリー)とライチとローズの味と香りが楽しめるケーキでもありました。
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これがマカロン・ローズです。マカロンの食感が伝わったでしょうか。
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クリックするとバックのHP下の写真がケーキを入れて帰った紙バックです。実は穴(リーフホール)の開いたクリックするとWikipediaデザインがピエール・エルメのデザインの特徴で左のようなバルバラリール(Barbara Rihl)デザインの革製のオリジナルバックも売られています。
スイーツ界の巨匠であるピエール・エルメ氏の写真も紹介しておきます。
アルザス・コルマールのパン屋の4代目として1961年11月20日に生まれ、現在、51歳です。

佐倉のチューリップ祭り

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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佐倉市では2013年4月6日(土)~2013年4月29日(月)の期間にチューリップ祭りが行われています。チューリップ祭り、あるいはチユーリップまつりは昔からの呼び方で今は、佐倉チューリップフェスタが公式の呼び方です。でも我々はチューリップ祭りと呼んでいます。4月13日の早朝に車で行きましたが、その前に様子を見に自転車に行きました。ここでは86種類50万本ものチューリップが植えられています。オリジナルのSo-net記事→ポチッ

せっかく自転車で来たので何枚か自転車の記念撮影をいたしました。いずれもオランダ風車とチューリップを一緒に撮りました。


少し風車から離れて撮りました。
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さらに離れて撮りました。チューリップはいろんな種類があるので、すでに散りかけたチューリップもあるし、蕾の状態のチューリプもありました。
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2013年4月13日の早朝の7時20分ごろにみんなで来てみました。チューリップ祭りの期間中は広大な臨時駐車場が作られるために駐車に苦労することはありませんが、結構遠い場所になってしまうことがあるのですが、7時20分頃であれば風車の近くに駐車できることから早朝に来たのです。
屋台や売店やイベントは9時からなのでチューリップの景観を楽しむだけとなります。
この日の風車には日本の国旗とオランダの国旗が飾り付けられてチューリップ祭りの雰囲気を盛り上げていました。朝日が正面から当たる東側のエリアから、いろんな距離からの写真を3枚掲載いたします。
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これが最も遠くから撮った写真です。東側のエリアのチューリップは佐倉市内の沢山の小学校の生徒たちが植えたものです。学校ごとにエリアが区切られており小滑降の名前が書かれていました。
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低い姿勢から撮った風車です。やはりこの姿勢から撮る人が多かったです。
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西側のエリアから撮った風車です。早朝のため逆光気味ですがこの角度からも趣があります。
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風車の近くから売店の方向の景色もきれいです。
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チューリップの花のアップの写真を紹介いたします。チューリップと言えばやっぱり真っ赤なチューリップです。
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こちらは白いチューリップです。こちらのチューリップはこれから開いてきます。
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同じ色のチューリップを植えている小学校もあれば、いろんな色のチューリップを植えている小学校もありました。
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息子や娘たちが通った青菅小学校はいろんな色のチューリップを植えていました。この方が植えるのが楽しいでしょうね。この大きなエリア全体が青菅小学校の担当でした。


黄色のチューリップです。


ピンクと白のチューリップです。


白の紫の斑入りのチューりっふむです。


86種類のチューリップが植わっているので珍しいチューリップも沢山ありました。


風車の西側のエリアに植わっているチューリップは好きなものを買うことが出来ます。10本で500円です。


この広大な広さのチューリップ畑は壮観ででした。風車の西側のエリアは繁殖と販売が目的のため人が自由に中を歩けるように少し間隔をあけて植えられています。
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佐倉のお土産品(落花生・お味噌・まんじゅう・酒)の販売や飲食店のエリアもありました。時間は9:00~16:00なので、まだ準備中でした。テントのの中なので雨が降ったときの休憩場所としても使えそうです。


恒例の屋台も沢山出ていました。これだけの屋台が並ぶ景観は久しぶりでした。

山菜「こしあぶら」の天ぷら

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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山椒の芽の佃煮を作るために山椒の芽を採りに行った雑木林には、ちょうど食べごろのコシアブラの芽がありました。さっそく採ってきて天婦羅にいたしました。コシアブラの芽は苦味があるために天ぷらが、よいようです。「おひたし」や「和え物」でも食べれるそうです。

採れたての山菜の天婦羅とくれば、やっぱりビールです。コシアブラの天婦羅は塩でいただきました。


幼木に出来た若芽です。コシアブラはタラの芽で有名なタラノキと同じウコギ科です。葉の形は違いますが棘のある幹はそっくりでした。これは次のために残してきたコシアブラの芽です。あまり枝分かれせずにまっすぐに立ち、葉は先端だけに集中するところもタラノキに似ています。タラノキの樹高が2~4mなのに対してコシアブラは7~10mで時には20mに達するものもあるそうです。
      こしあぶら            たらのき(タラの芽)
  目 : セリ目 Apiales         セリ目 Apiales
  科 : ウコギ科 Araliaceae      ウコギ科 Araliaceae
クリックすると拡大  属 : ウコギ属 Eleutherococcus タラノキ属 Aralia
コシアブラの木材は、米沢市に伝わる木工工芸品の笹野一刀彫(おたかぽっぽ)を作る際の材料として用いられているそうです。コシアブラの枝は皮を、こするときれいに抜けて、芯と皮とが分離するそうです。昔、これを刀と鞘に見立て、子供の玩具とされたことから「刀の木」とも呼ばれたそうです。
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この芽は食べごろです。柔らかそうです。コシアブラは「漉し油」を意味しています。こちらの写真をクリックすると新鮮な美味しさが伝わってくると思います。
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採ってきたコシアブラの芽です。幹を傷つけたときに得られる樹脂は加工を施すと黄金色に輝く塗料を作成することができて、古来、金漆(ごんぜつ)と呼ばれ、工芸用塗料として珍重されてきたそうです。コシアブラ(漉し油)の名は、この樹脂の利用に由来する名称だそうです。
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ハカマの部分を取り除いて使います。短時間の間にこれだけ採れました。
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翌日もコシアブラを採りに行くと結構とれたので、今度は「おひたし」と「和え物」にすることにいたしました。これが「コシアブラのおひたし」です。創味の、だし醤油をかけていただきました。程よい苦味が山菜であることを伝えてくるの一品でした。太い茎の部分も、何とも言えない食感でおいしくいただきました。
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こちらが「コシアブラの和え物」です。すり鉢ですりおろしたゴマと醤油と砂糖で味付けをしました。こちらも特徴のある味が美味しかったです。
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やっぱりビールを飲みたくなりました。「コシアブラのおひたし」と「コシアブラの和え物」以外で用意された夕食は「小田原産のアジの干物」と「ゴマ豆腐」と「糸三つ葉の玉子とじ」と「味噌汁」でした。
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ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。


2013年3月13日追記 タイトル: ネコヤナギの花は雄花(雄株)でした。

昨日、ネコヤナギの写真を撮って掲載するときに調べて雌雄異株であることを知りました。写真などから雌花ではないかと記載しましたが、もう一つ自信がなかったので今朝確認に行きました。
ねこやなぎ(猫柳)の特徴はネットで調べると次のように書かれていました。
・雄花の特徴
雄しべは2個。花糸は合着して1個、基部には腺体が1個ある。葯ははじめ紅色で、黄色の花粉を出したあと黒くなる。
・雌花の特徴
雌花序は長さ2.5~4cm。子房はほとんど無柄。白い毛が密生する。花柱は長さ2.5~3mm。腺体は1個。苞は披針形で上部は黒色。下部は淡緑色。両面に長い白毛がある。果実はさく果。成熟すると裂開して、綿毛に包まれた種子をだす。
雄花の特徴である「葯ははじめ紅色で、黄色の花粉を出したあと黒くなる。」と今回、撮った写真の特徴から雄花の可能性が高いことがわかりました。前回も、その特徴がありましたがより鮮明に表れていました。

さらに花を拡大すると黄色の花粉らしきものも確認できました。これだけの量だし、黄色い雄蕊の近くだけについていることから、風で飛んできた花粉ではないと思います。


咲き始めたばかりは真っ赤でした。これからも雄花と言えそうです。
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花を一つを見ると「雄しべは2個。花糸は合着して1個」というところが雄花の特徴と合致していますが、こちらはネットの雌花とも似ているので、この写真からは結論が出せませんが、上の3枚の写真から判断して今回のネコヤナギの写真は雄花と思われます。実が出来るころに再度確認はしたいと思っています。



2013年3月12日掲載 タイトル: 朝のワンコの散歩でネコヤナギを見つけました。

今朝(2013年3月12日)のワンコ散歩の時に花の開いたネコヤナギを見つけたのでポケットに入れてあったカメラで、この写真を撮りました。右上にはよく見るネコヤナギの蕾が写っています。この写真から見ると、下の方から順番に咲いていくようです。調べてみるとネコヤナギは雌雄異株で、雄株と雌株がそれぞれ雄花と雌花を咲かしますが、これは雌しべ雄しべで、おおわれているようなので雌株雄株でしょうか。雌株か雄株か確定できていないので、この次は雄株雌株を探してみます。ネコヤナギの名前は猫の尾に花が似ていることからつけられたようです。

花を拡大してみました。雌しべ(または雄しべ)が沢山ありました。花粉が出ているようにも見えます。明日にでも、もう一度行ってみて花粉の有無で雄花か雌花かを決着させたいと思いの素。


少し遠くから撮ったネコヤナギです。畑の中に植えられており畑の周囲には沢山の梅の花が咲いていました。1972年の23版発行牧野新日本植物図鑑では「かわやなぎ」の名前が正式で一名として「ねこやなぎ」が使われていました。ネットで「かわやなぎ」を調べても少ないので、今は「ねこやなぎが」が正式名のようです。あるいは別の種類として認識されているようにもうかがえます。
  界 : 植物界      Plantae
  門 : 被子植物門   Magnoliophyta
  綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱 : ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
  目 : ヤナギ目    Salicales
  科 : ヤナギ科    Salicaceae
  属 : ヤナギ属    Salix
  種 : ネコヤナギ   S. gracilistyla

鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線


水戸の偕楽園や大洗に行った後、家に帰るルートを携帯で検索すると非常に稀なことですが鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えると水戸経由で特急を使って帰るよりも20分以上も早かったのです。これは14時18分という時間帯が偶然を生んだのだと思います。水戸経由だとフレッシュひたちの特急料金900円もかかることから、迷わず鹿島臨海鉄道を使って鹿島神宮駅で乗り換えて変えることにいたしました。成田たからは京成電鉄に乗って帰りました。

こちらの写真が大洗から鹿島神宮に乗った車両で、水戸から大洗駅に入ってきたところです。見ての通り1両の車両でした。この車両は6000形で1985年から日本車輌製造および新潟鐵工所のライセンス生産で製造された鋼製車体、両運転台式の大洗鹿島線用気動車です。開業時に6両製造され、以後1993年までに合計19両(6001 - 6019)が製造されたそうです。全長は20.5mで、トイレや冷房装置を装備し定員は120名(うち座席56名)です。日本の気動車で唯一、縦形直噴のディーゼルエンジンを搭載した車両でもあります。


今回乗った鹿島臨海鉄道は鹿島臨海工業地帯への原料および生産品の輸送のため、1969年に国鉄(現:JR)や茨城県や進出企業の出資により設立された貨物専業鉄道でした。
正式会社名は鹿島臨海鉄道株式会社(Kashima Rinkai Tetsudo Co., Ltd. 略称:KRT)で、第三セクター方式の鉄道事業を行っています。
最初は北鹿島(鹿島サッカースタジアム)~奥野谷浜の間である今の鹿島臨港線で主に貨物営業をしていましたが、1984年に現在の大洗鹿島線を国鉄から鹿島臨海鉄道が引き受けたことで現在に近い形になりました。したがって現在は大洗鹿島線と鹿島臨港線の2路線を有しています。今回乗った大洗鹿島線はOarai-Kashima Lineの頭文字を取った「OKL」のシンボルマークがあります。
1969年04月01日:鹿島臨海鉄道株式会社設立。
1970年07月21日:鹿島臨港線北鹿島~ 奥野谷浜 開業(貨物専業)。
1978年07月25日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入)旅客営業開始
1983年12月01日:鹿島港南~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入)旅客営業廃止
1984年03月22日:水戸~北鹿島を国鉄から鹿島臨海鉄道が引受けること決定*1
1984年09月11日:水戸~北鹿島 免許取得
1985年03月14日:水戸~北鹿島~国鉄・鹿島神宮(乗入) 営業開始 大洗鹿島線
  
*1 株主である茨城県の議会決議日 1984年3月22日
  鹿島臨港線 19.2km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~奥野谷浜
  大洗鹿島線 53.0km 鹿島サッカースタジアム(旧 北鹿島)~水戸
こちらは大洗駅の写真です。大洗駅は車両保管や整備を行う車両基地でもあります。鹿島臨海鉄道の本社もここにあるそうです。


こちらが運転席越しに見た前の景色です。鹿島神宮駅へ到着寸前で建物が沢山写ってが、大洗を出発してから鹿島神宮駅まで56分間のタイムスリップしたような景色を楽しむことが出来ます。


こちらが後側です。見ての通り車掌の方はおられません。こちらの列車は基本的にワンマンカーですが、ほとんどの駅が無人駅であることから一時的に車掌の方が乗られてきて検札と切符の販売をいたします。車掌の方がおられるときは前後のドアが開きますが、ワンマンカーになったときは運転席側のドアしか開かないので、乗られるときは社内放送に注意してください。


こちらが社内です。この時は検札と切符の販売のために車掌の方が乗られていました。ちょっとした旅行気分が味わえる雰囲気でした。我々はベンチシートの部分に座り、そのベンチシートのあたりから撮った写真です。


鹿島神宮駅でJRに乗り換えました。JRの車内から乗ってきた鹿島臨海鉄道の車両を撮ったものです。同じホームで乗り換えられる上に乗り換え時間も2分と短いため効率的です。


2両編成の車両も走っていました。これは大洗駅から水戸に向かう列車です。我々より2分後の2時20分発でした。鹿島臨海鉄道も2011年3月11日の東日本大震災により被害を受け大洗鹿島線が全線復旧したのは4ケ月後の2011年7月12日でした。


この2枚の写真はフリー百科事典のWikipedia(ウッキペディア)から拝借いたしました。今でも鹿島臨海工業地帯の貨物輸送を行っており左の写真のようなディーゼル機関車を4両所有しています。
右の写真は茨城県が所有している7000形(2両 7001,7002)で毎年6月のアヤメの開花時期や正月のように多客輸送に合わせて臨時的に運転されるそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらが今回のルートです。到着駅は私の最寄駅ではないのですが、仮に京成佐倉駅といたしました。クリックするとルートを表示左の上側が鹿島神宮駅経由の今回のルートで、左の下側がフレッシュひたち40号を使った水戸と柏と船橋を経由するルートです。値段も時間も今回のルートが得なことがわかってもらえると思います。
鹿島臨海鉄道→JR鹿島線→JR成田線→京成本線のルートでした。

結婚式の招待状


興味深い結構式の招待状なので掲載いたします。これは中国から届いた結婚式の招待状です。海外から結婚式の招待状をもらったのは初めての経験でした。上の写真は招待状が入った封筒です。日本だと白い封筒ですが、中国は赤がおめでたい色なので真赤な封筒を使うようです。封筒の両サイドに龍と鳳凰がデザインされているのが中国らしいですね。白抜きのところに私の名前が書かれていました。

下の写真が封筒を開けて、出てきたカードです。このカードを開くと中に招待状が入っていました。
真中に書かれている赤色の大きな文字が印象的です。
このは結婚だけで使われるダブルハッピネス と呼ばれている、すごくおめでたい文字なのです。

これが招待状を開いたところです。結婚式は3月22日です。日付が2種類、書かれていますが左側の2月15日は旧暦です。中国の人でも旧暦は調べないと判らないそうですが、旧暦を書くのが正式なのかもしれません。
左側に新婦の名前 右側が新郎の名前です。
結婚するのは二人とも日本人です。中国の同じ職場で運命的な出会いでした。二人とも前年の最初のころに赴任しました。もちろん初対面でした。
もちろん結婚式には出席させたもらいます。日本にいる会社の関係者はさすがに少なくて4名だけです。
先生の文字の上に私の名前が書かれています。先生と言うのはTeacherではなく中国で使われる敬称なのです。結婚式が、はじまる時刻は中国らしく十八時十八分(18時18分)と書かれており、ほんとうに18時18分に始まりました。


結婚式の前日の晩に結婚式が行われる町に着きました。この町が大きくなったのは最近のことだし、このときは住んでいる日本人も、まだ20人に達していません。したがって、この200万人の中国の地方都市においては日本人同士の結婚式が行われるのは、きっと、はじめての事だったと思います。大げさに言えば、この町にとっては歴史的結婚式でした。両方のご両親も昨晩、無事に着いたそうです。参加者は日本人が20人くらいで中国人が60人くらいと想像していました。
さてどんな結婚式なのでしょうか。完全に中国式で行うそうです。→予想を越えて109人以上でした。
写真は15時46分です。徐々に結婚式の準備が進められていますがホテルの入口には3つの看板がたてられました。我々の結婚式以外に更に2つの結婚式が行われるため同じホテルで同時に3つの結婚式が行われました。

近所の早咲きの桜が満開になりました。


息子たちや娘が通った千葉県の佐倉市立井野中学校には沢山の早咲きの桜が植わっており、毎年きれいな花を咲かせてくれます。今年も満開になりました。写真は2013年3月20日に撮りました。

桜並木の長さは180mあり結構楽しむことが出来ます。ここから下の写真はすべてクリックすると拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

ピンクの花の満開の姿を紹介いたします。ここから下の写真はすべてEF100-400mmのレンズを使って撮りました。上の写真はEF24-105mmです。
クリックすると拡大

沢山のはなが咲いていました。
クリックすると拡大

蕾も散っている花もない状態でした。
クリックすると拡大

ズバリ100%の開花状態でした。
クリックすると拡大

ソメイヨシノよりピンク色が濃い花で桜らしい花の姿です。
クリックすると拡大

開花宣言に使われる桜の代表である染井吉野(ソメイヨシノ)も急に咲き始めました。週末には満開になる勢いで花数が増えています。こちらは佐倉市立小竹小学校の桜です。
クリックすると拡大

岩国のお土産は「岩国寿司」でした。


山口県の岩国に行く前日にテレビを見いてると偶然にも岩国のことをやっていました。そこに出来たのは錦帯橋と蓮根と岩国寿司でした。
そして偶然にも、叔父さん(母の弟)からお土産をいただいたのが岩国寿司(いわくにずし)でした。

岩国寿司は山口県岩国市周辺で作られる押し寿司の一種で、岩国城内で食べられていたこともあることから「殿様寿司」とも言われています。地元では「角ずし」と呼ばれることも多いけれども、広島地域で食べられる角寿司とは若干製法が異なるそうです。
2~ 3人前ずつ一層で作られる通常の押し寿司と異なり、一度に3升から1斗入る大きな木枠の中に、クリックすると拡大サワラやアジなどの生魚の身をほぐして混ぜ込んだ酢飯の上に春菊などの青菜、岩国名産の蓮根、椎茸、錦糸卵などをのせ、これを何層にも重ね、サンドイッチ状にし、重石でしばらく押し固め、木枠を抜いて、一人前サイズに切り分ける作り方です。右の写真はWikipediaの岩国寿司の画像から拝借いたしました。
層の区切りにバショウやハスの葉を用いるのが特徴的だそうです。できあがった大きな押し寿司を一人前ずつに切り分けてるために一度に数十人前が出来上がることになります。
錦糸卵などで彩られ、切り分けた後でエビなどを後のせすることもあり、見た目はちらし寿司風でした。写真はクリックすると拡大足します。
クリックすると拡大

クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。中に入っているレンコンがしゃきしゃきして美味しかったです。

函館のうに丼

オリジナル記事
 http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-08-11-33
クリックすると拡大
この写真は函館で是非食べてみたかった製造直営店の雲丹丼です。函館に行って食べてきました。新鮮でした。一つ一つが完璧な雲丹が乗せられたすばらしいウニ丼でした。これ以上の説明は不要ですね。上の写真は是非ともクリックしてみてください。
クリックするのが面倒な方のために部分拡大の写真を掲載させていただきました。ウニに隠れた白いご飯もおいしそうです。


メニューの丼物のページです。読みづらい場合は写真をクリックしてみてください。
どんぶりは4種類です。こちらのお薦めはなんと言っても無添加の生うにを使ったウニ丼なので私は思い切って、うに丼にしました。
 うに丼  2625円
 イクラ丼 1680円 
 三色丼  2100円
 海鮮丼  1890円
今まで売られているウニは無添加と思っていましたが、市場に出ている殆どの『生うに』は形崩れを防ぐために明礬(ミョウバン)が使われていることを知りました。函館に来たおかげて自然のままのウニを味わうことが出来ました。
クリックすると拡大

これは、別の人が食べた三色丼です。
こちらもいろんな味が楽しめる一品だと思います。
クリックすると拡大

お店の外観です。うにの加工を行っている中村商店の直営店で函館駅前の朝市仲通にあります。隣は蟹を沢山置いているお店でした。これらのウニは函館の隣の北斗市の中村商店の本社工場で加工されているようです。クリックすると刺身メニューを表示いたします。

                       
新鮮な美味しい"うに丼"でした。お店を紹介しておきます。
 店名 うにむらかみ 函館店
 住所 北海道函館市大手町22-1
 電話 0138-26-8821
 HP  http://www.uni-murakami.com/hakodate/index.html
 加工 村上商店 北海道北斗市七重浜1-8-10


ネット上で「うにむらかみ」の動画がありましたので拝借いたします。


加工場の中村商店(赤マーク)から、うに丼が食べれる、うになかむら函館店(緑のマーク)まで6.2km、車で6分だから、無添加の美味しい雲丹丼が食べれるのだと思います。これだけの好条件のところは少ないと思います。

より大きな地図で
うに丼ルート を表示

近所の自慢のケーキ屋さん 杏

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オリジナル記事
 http:// makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

2人の姪っ子のお土産を紹介したので、娘のお土産も紹介いたします。実は家から車で数分の距離のところに、ちょっとシャレたケーキ屋さんの杏(Ann)というお店があるのですが、少し遠いけれども歩いて買ってきてくれましたケーキがこちらです。2002年2月にオープされたオリジナルのケーキを提供してくれるお店です。
こちらがお店は住宅街の中にあります。
近所の自慢のケーキ屋さんを紹介いたします。地図を添付いたします。
  店名 創作菓子 杏  Sousaku-gashi ANN
  住所 千葉県佐倉市ユーカリが丘1-5-11
   電話 043-488-3838
  営業 10:00~20:00
  定休 水曜
  シェフ 横井 康人(オーナー パティシエ/pâtissier)
  HP  http://www.0434883838.com/

より大きな地図で 創作菓子 杏 を表示
ケーキの個別の写真を撮らなかったので、今までに撮ったケーキの写真を紹介いたします。こちらは誕生日ケーキです。
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